RubyKaigi 2026に行ってきた

RubyKaigi 2026に行ってきました。

今回の参加は会社からの出張という形でできました。こういうイベントに行かせてくれる会社に感謝です。 また、今回は会社からRubyKaigiへのスポンサーのみならず、ブースも出展することができました。知名度の向上、交流に大きく寄与してくれたと思います。

ブース出展に際しては会社の皆と企画をしました。我々のサービスはマニュアルの情報共有が主ですが、ただ単にオンラインマニュアルをアピールしても、ブースにいらっしゃる方々の記憶には残らないと思い、函館市の協力をいただき、函館市の観光情報を皆さんにお伝えするという形で、我々のサービスに触れてもらうこととしました。お菓子なども配布も好評で、大変有意義なブースの出展だったかと思います。できれば来年もブースの出展ができればと個人的には思っています。

ブース出展の関係であまり多くの講演を聞くことはできませんでしたが、特に初日のキーノートである @tagomoris のboxについての講演は自身も待望していた機能なので、大変興味深く聞かせていただきました。去年の松山のRubyKaigiでは、@tagomoris とboxの実装をしていたときのデバッグのお話を多少聞いたりしていたこともあり、現在実験的にとはいえ実装されたRuby4が出たときも嬉しく、boxを使って遊んだりしています。

関連して、初日のLTでも @joker1017 のboxを使ってモジュラモノリスを実現するとの内容については特に楽しく聞くことができました。自身としてはそこまでの内容にはまだ踏み込んでいなかったため、今後の実験が楽しみです。初日のLTは皆さんとてもLTらしい内容で全体を楽しく聞くことができました。

2日目、3日目はブースにかかりきりであることが多く、ほとんどの内容を聞くことができませんでした。来年はもっと会社から参加してくれるメンバーを増やして、ブースを出展しつつ、講演ももっと多く聞くことができればと思います。

2日目の夜にはオプティムさんと共催で自社ドリンクアップを開催することができ、多くの方々にご来場いただきました。特にShopifyの皆さんが来てくれたことが大変嬉しく、久しく使っていなかった英語を使ってコミュニケーションを取りました。参加してくれた方々の中には、一度お話をしてみたかった方というのも大変多く、持っていた疑問をぶつけたり、大変有意義な時間となったかと思います。会社としても楽しい場を提供することができ、同時に会社の認知度を上げることにも貢献してくれたと思います。今度のイギリス旅行の際に再会を約束したShopifyメンバーもおり、ホストとはいえ、自分自身も大いに楽しませてもらいました。

函館の食事、観光、温泉は存分に楽しませていただきました。また、開催前日から会期中ずっと各社のドリンクアップなどもあり、大変楽しく交流ができた期間でした。特に五稜郭をはじめ土方歳三関係の史跡を訪問できたのが印象的です。次があるならば、持病の関係であまり飲まないようにしていたお酒をもっと楽しめればと思っています。

空からの五稜郭

五稜郭の桜と五稜郭タワー

土方歳三最期の地

土方歳三たち埋葬の地

寺と教会の並びたつ坂

また来年、宮崎では今年より随分暖かい環境で、楽しいRubyKaigiに参加できればと思います!

プロジェクトヘイルメアリーを読んだ (内容についてはネタバレしないが構成についてはネタバレしているかも)

結構前に @joker1007 さんに勧められたプロジェクトヘイルメアリーを読了しました。

傑作だという話は前からいろんな方向から聞いていたので、面白さについては疑いを持っていなかったものの、じっくり読書する時間はなかなかなく、年末ぐらいから読み始めて、1月ほどかけて上下巻を読みました。

もちろんめちゃくちゃ面白くて、映画化の前に読んでおけてとても良かったです。SF作品ということで、描写に難しい部分が多く、科学的な解説については正直そういうものなんだろうというぐらいにしか理解できませんでしたが、このイマイチふわっとしている脳内描写、状況が映画化で明らかになることがとても楽しみです。

一番強く残る感想はプロジェクトヘイルメアリーを読んで強く思ったのは「構成の上手さ」です。

現在、僕たちがアニメや漫画で触れるものは、いわゆる「フラグ」というものが見えすぎていたりすることが多いと思います。これはもちろん作者たちが意図して大げさにしているものも多いかとは思いますが、フラグが見えすぎていても、構成が見えすぎていても、やはり面白くないものです。フラグは利用しつつも、それを巧みに利用するというものは、最近あまり見てこれませんでした。

中には万能の存在がすべてをひっくり返すような、フラグとは言えないようなものもたくさんあったので、このプロジェクトヘイルメアリーにおいてはそれなりに理由がつけられている、順序が踏まれているということが大変良かったです。この点において久しぶりに物語を読んだという気持ちになりました。

映画は3月20日に公開だそうです。前売りのムビチケはもう購入してしまいました。初日にぜひ見に行きたいですね。

OSSと僕

誕生日の前日ではあるが、最近ダイエットをしているので、つい酒も用意せず、普段通りの節制した食事をしていたところ、なんだかふと思い始めてしまいました。ちなみにPFCバランスも25:20:55で完璧でした。あすけんも100点です。

僕はソフトウェアエンジニアとして20年近いキャリアがあります。そのキャリアとOSSは常に一緒にありました。このキャリアの中では、RubyのMatzやさまざまな言語の作者、さまざま有名フレームワークの作者、有名ツールの作者など世界を変える様々なOSSに対してものすごい貢献をしている人たちとの出会いがあり、逆に何か貢献しているというわけではない利用者というだけの人もたくさんいました。僕も大半のOSSにおいて後者です。

僕は特段、OSSに対して大きな貢献をしているわけではないという自覚があります。とはいえ今日もweztermとCorvusSKKという普段お世話になっているOSSのツールのissueを立てたりコメントをしたり、 昨日もgit-wtというツールに対して小さなPRを出したりしました。 毎年GNUに対して寄付をしたり、その年お世話になったツールを思い浮かべてそれぞれのツールに寄付したりもします。OSSそのものではありませんが、毎年ジミーの写真が送られてきたら、Wikipediaにも寄付をしています。

このように、僕の中でOSSに対する貢献とは、自分の生活に関連することがほとんどです。自分が使っているOSSになにか問題があればPRする、issueを出す。それだけ。何か世界に問うような立派な製品などはありません。OSSとして公開しているツールやgem、エディタのプラグインはあるが、誰にも知られていないようなものしかありません。1つメンテナンスを放棄されたgemを引きついだものは、forkしてから600万ダウンロードを超えていますが、それでも裏側の裏側にあるようなものなので、存在を知っている人はほとんどいないでしょう。せいぜいこんなものです。

OSSに対して大きな貢献をしている人の中には、世界の人々にもっと大きな、強烈な貢献を求める人もいますが、僕はこれでも良いと思っています。個人が小さくてもできることの貢献を積み上げることこそが、より持続可能で、より多くの人の成果を集積できると思うからです。 これはOSSに対して大きな貢献をする人に対して腐すところがあるわけではありません。むしろ彼らは世界を進めている偉大な存在であると思います。ただ、大多数のただ利用者という人たちにもできることがあると言いたいのです。

OSSの貢献のほとんどは利用している人にも世間の人にもほとんど知られることはありません。かつて話題になったopensshのように世界中で使われている、まさに世界のインフラと化しているものでも資金が集まらないということも珍しくありません。はっきり言って世界は技術者のボランティアに依存している状態と言っても過言ではありません。利益をあげている企業には世界を支えるOSSに対してもっと還元してほしいものです。

とはいえ、一方でOSSと世界への貢献で有名になる人も多数いるのももちろんです。先ほどのMatzなどの有名な言語作者たち、LinuxのLinusなどあげればきりがないでしょう。これらのように有名にならなければやる意味がないのかというと、またそうでもないでしょう。その人たちの努力は確実に世界のためになっています。

僕はvim-jpというオンラインのコミュニティによくいますが、そこに仲良くしている人のうちにccusageの作者である@ryoppippiもいます。彼は様々な苦労の中、ccusageを作り、コスト計算機能が特に重要だったときは、彼は寝る間を惜しんでアップデートをしているのを見ていました。その成果や彼の対外メディアの出演などにより、彼自身も有名人となり、さまざまなチャンスに恵まれることもあるようです。僕は彼のような行動をすることはありませんが、彼のことはすごいやつだなと思って見ていました。彼の成果物は確実に世界のためになりましたし、また彼自身のためにもなったのです。

特にまとまりのない散文を書いてきましたが、何が言いたいかというと、OSSに関わっている、利用している人たちがOSSに貢献するということに対して大きなハードルを感じていることは知っていますが、多くの人は特に大きな利益があるわけでも苦労があるわけでもなく、ただ気が向いたときに関わればいいと思うのです。それは十分OSSの、また世界のためになるし、そして時に大きな貢献をすれば思いもよらないチャンスもあるかもしれません。

最近は生成AIによりコーディングはより身近になりました。あなたも今この世界を支えるOSSから多数の恩恵を受けてきたはずです。自分の生活に関わることから何か貢献してみませんか?

スタディスト在籍エントリ

入社エントリを書かなきゃいけないなと思いながら1年半経ってしまったので在籍エントリとして出します。

私は今、株式会社スタディストに在籍し、技術基盤チームのチーフをしています。

現在はフルリモートでの職場が減っていると聞きますが、現在でも我々はフルリモートを前提として開発チームを構成しています。会社は東京にありますが、私自身も神戸在住です。割とよくある「実際は出社しなくちゃいけないんでしょ」ということもありません。3ヶ月に1回開発チームは集まっていますし、全社総会も半期に1回ありますが、本当に来ない人は来ません。そしてそれでも特に空気がおかしくなるということもありません。僕よりも前から在籍している、もう何年もいらっしゃる方でも、CTO交代イベントの時に初めてお見かけした方もいました。ちなみにその方は出社しない方として皆さんに知られており、初めて会ったという方が何人もいらっしゃったぐらいです。ちなみに出社したい方は毎日オフィスに行くことも可能です。実際によく出社している人もいます。

開発チームは基本的に「いいやつ」が揃っているチームだと思います。困った時に進んで助けてくれる方が何人もいます。私からの視点ではカルチャーマッチでもかなり気にして人柄は見られており、その結果の現れだと思います。技術面としては、その時々欲しいチームにより求めるレベルは異なりますが、少なくとも仕事や技術に真摯であれば何らかの機会があると思います。

私の仕事としては、技術基盤のチーフとしてチームのリーダーということになっていますが、組織図上、私のチームの構成員は私一人だけになっています。そのため、一人でさまざまな仕事をしますが、基盤の整備作業や大規模なリファクタリングなど、多くの人手を要するものは人員調整が発生しています。採用は頑張ってはいますが、なかなか即弊チームの一員として採用できる人というのはいないのが現実です。そのため現在は特にバックエンドに強い興味がある転職先をお探しの方はぜひ私にお声がけいただければと思います。13年もののrailsアプリケーションはなかなか強敵で、成長したスタートアップでありながら、なかなかダイナミックな仕事ができると思います。

以前、タイミーさんの広報を拝見して、本を自分のものにできるという学習支援がありましたが、弊社でも以前からそのような施策があり、望んだ研修に行けるような制度もあり、もちろんrubykaigiなどにも会社として参加することができます。私もすでに何度も会社に支援してもらって、本を買ったり、研修に行ったり、rubykaigi、地方rubykaigiに出たりすることができています。ここ数年、Rubyに関わる仕事ではなかったため、この施策のおかげもあり、スタディストに入ってから多くのRuby界隈の友人と再会することができました。

弊社のサービスは主に製造業、小売業、運輸業などの方々のためということもあり、我々プログラマー間では知名度がないのが現実です。今まで知らなかったから話聞いてみたいという方、ぜひお待ちしています。一緒に働きませんか。

エジプト縦断旅行記及び聖地探訪 (ジョジョ3部、FGO、ブルアカなど) 上エジプト(アスワン、ルクソールなど)編

こちらの記事の続きです。

shishi.hatenablog.jp

一般的にエジプト旅行といえばやっぱりピラミッドが主でしょうから、前の記事のカイロ、ギザ部分だけでエジプト旅行を終える人がほとんどでしょう。ただ実はカイロ、ギザ部分は古代エジプト古王国時代の中心でしたので、紀元前2500年ごろのものが多く、約5000年の前のものは保存状態にもどうしても問題があり、遺跡の数もそこまでではありません。その点、上エジプトは古代エジプト新王国の中心地で紀元前1500年ごろとかになってきますので、色が残っているものも増え、より昔のままを見ることができるものが増えます。また、カイロ、ギザは前記事の通り大変騒がしい都市なので、上エジプトで比較的のんびりできたのは良かったですね。街中にあふれたゴミも減りますし、なにより車が減ります。

ちなみに、チップ攻撃やトイレチップなどは、ずっと続きます。こちらはカイロよりは旅行者が少ない分、より長く粘られることが増えたかもしれません。エジプトにいる間は、これらの攻撃はもうあるものとして諦めるしかないでしょう。常に渡してもいい額の現金を持っている方がトラブルは減ると思います。特に王家の谷についてはトイレチップを要求する側が額を決めていたりしました。トイレなどは仕方がないにしても、必要ないものにはハッキリNOと言い続ける姿勢を持ちましょう。一回言って引いてくれることはほとんどありません。

観光地を除けばレストランとかではのんびりした人が増えている印象もあります。

上エジプト

アスワン

カイロ空港からエジプト航空国内線に乗り、アスワン空港に向かいます。

エジプトでは空港に入るのにも航空券を見せる必要があったり、さらにセキュリティの前でもあれを見せろこれを見せろと言われます。しかもほぼ威圧的。なんだったら入口すぎのベンチで座っているだけでもはよ行けと文句を言われます。隙あらば数倍請求するのが当たり前なのともあいまって、リピーターがとても少ない理由となっているかと思います。セキュリティに厳しいのは実際今まで何度も死傷者を出しているテロの反省ともとれますが…

エジプトでは一般的なセキュリティの後に、搭乗ゲートでもセキュリティがあります。エジプトの空港ではステータス持ちの優先レーンが女性用レーン、通常レーンが男性用レーンとして使われており、事実上優先レーンはありません。宗教的事情が優先されます。このセキュリティも結構時間がかかるので、ギリギリに搭乗口にあらわれないようにしましょう。

あとエジプトあるあるですが、特にセキュリティ後の飲食店の値段はだいたい市内の5倍ほどします。空港でもエジプトの外国人からは金を取るという信念は同じです。

そんなこんなありつつ、早朝にカイロからアスワンへ飛びたちました。特に問題なく、1時間半ほどで到着しました。アスワン空港は小さな空港です。歩いて空港に入り、外に出ますがまだガイドさんと連絡がつきません。ガイドさんのブローカーと連絡しつつなんとか合流。アスワン空港では空港建物出口から一歩でてしまうともう空港内に戻れません。良く空港内に「これより先に出ますと戻れません」のエリアがあるかと思いますが、あれが建物自体になっているんですね。ガイドさんと合流に時間がかかったので、もしかして建物内かな?となって戻れなかったのでした。

アスワンハイダム

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建設当時世界最大だったダム。現在は世界3位。このダムができた結果できたナセル湖は貯水量にして琵琶湖5つ分。面積で琵琶湖8湖分。人工的にそれだけの湖ができちゃうんだなとシンプルに驚き。

ナスル湖

当然向こう岸は見えません。日本のスケールだとこういう景色はもう海なんですよね。

フィラエ神殿 (イシス神殿)

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さすが世界最長のナイル川につくったダムはスケールが違うぜとなってそこそこに、本来したい観光に戻ります。アスワンではまずフィラエ神殿に向かいました。

フィラエ神殿への渡し場

もともとフィラエ島という島にあったのでフィラエ神殿といいましたが、アスワンハイダム建設により沈んでしまい、沈んでいないアギルキア島に移設されました。その結果、今はアギルキア島がフィラエ島と呼ばれているようで、大変ややこしいです。さらっと書いてますが、世界遺産を丸ごと違う島に移設するってすごい話です。

数々の旅行記によると、この渡し場も一大ぼったくり地となっているようです。こういうときの交渉をいちいちやりたくないためのガイドさんを雇っているので、我々の渡した額は数ドルでした。現地の物価を考えるとそれでも高いこともあるかと思いますが、旅行者としては全然普通だと思います。

ナイル川中の島にある神殿ということでなんとも神秘的です。古代エジプトのうちでは最後のほうに建設され、ローマ時代に渡っても使われたということで、今まで訪れた遺跡たちよりはっきり残っており、また上エジプトで1つめの訪問ということでテンションは高かったです。

フィラエ神殿 (イシス神殿)1

フィラエ神殿 (イシス神殿)2

フィラエ神殿 (イシス神殿)3

フィラエ神殿 (イシス神殿)4

フィラエ神殿 (イシス神殿)5

フィラエ神殿 (イシス神殿)6

フィラエ神殿 (イシス神殿)7

フィラエ神殿 (イシス神殿)8

フィラエ神殿 (イシス神殿)9

フィラエ神殿 (イシス神殿)10

当然ながら神殿は神に捧げられるものなので、レリーフは基本的に王が異民族を撃退した様子や、王が神に捧げ物をする様子、王が神々に認められる様子が描かれており、王の正統性や権威を示すものとなっています。これらは統治される民へのアピールのみならず、異民族に対してもエジプトの偉大さを示す示威行動としての意味もあったようです。確かに南からやってきたヌビア人が、急に島に浮かぶ神殿を見れば、当時のエジプトの力強さを理解したかもしれません。特にこの神殿はイシスを祀ったものなので、イシスが多くのレリーフに登場します。

切りかけのオベリスク

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また船に乗って戻ってきて、定番コースとして切りかけのオベリスクに向かいました。

切りかけのオベリスク1

切りかけのオベリスク2

でかさがうまく伝わる自信がない…

完成していれば最も大きなオベリスクとなるはずであったオベリスクです。3000年以上前に全長42m、重量1200tのものを1枚岩から削り出し運搬しようとしていたのですね。これも気が遠くなる作業だったでしょう。

ヌビア博物館

近くのヌビア博物館に向かいました。エジプト南部は古来からヌビア人との境目であり、ヌビアの文化とエジプトの文化が混ざり合っています。

ヌビア博物館1

ヌビア博物館2

ヌビア博物館3

ヌビア博物館4

ランチ

ガイドさんに連れられて行ったどローカルなランチ。こう言ってはなんだけども今までの下エジプトでのどのエジプト料理よりもここが一番美味しかったです。ただ観光客だけで入るには難易度が高すぎるのでおすすめできません。料理の種類自体はここまでに出てきたものと同じでした。

ランチ1

ランチ2

ランチ3

ランチ4

Aswan Nile Palace

アスワンでのホテルです。

アスワンでのホテル1

アスワンでのホテル2

アスワンでのホテル3

アスワンでのホテル4

ナイル川沿いにあるあまりちゃんとはしていない安いホテルです。アスワン市街から歩いて行けないことはないですが、丘の上で野犬がたくさん周りにもいるので、あまりお勧めは出来ません。ガイドさんと、もしくはタクシーに乗っていきましょう。有名なところでもないようで、タクシーの人もわからないかもしれません。ガイドさんも初めて来たと言っていました。ただ景色は綺麗です。夜も街の喧騒が聞こえなくて静かですが、野犬の遠吠えはします。

ディナー

この日の夕食は記憶にも記録に残っていませんでした。疲れて寝てしまったか、外出が大変なエリアかつホテルにはレストランなどはないのでそのまま諦めた可能性があります。

アブシンベル神殿

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アスワンに来る人のほとんどの人の一番の目的はこの神殿でしょう。

ラムセス2世(オジマンディアス)はエジプト中にその跡を残しましたが、彼の事業の中でも最も有名な神殿かと思います。ユネスコの世界遺産の始まりがこの神殿だということも有名な話かと思います。先に出てきたアスワンハイダムの建設により湖の底に沈むはずでしたが、当時の世界の有志たちにより、静まらない位置にまで引き上げられました。この神殿には年に2度のみ、神殿の奥まで太陽光が届くという仕組みがあるのですが、その仕組みまでが再現されています。まさに偉業。今も我々がこの神殿を見られるのはまさに先人達のおかげです。現在のヌビア国境との境にあり、まさに当時のヌビア人たちにラムセス2世の強さを示したことでしょう。

アスワン市外の早朝3時から4時ごろから向かいます。アスワンから車で4時間はかかると思います。当然、どこのお店もやっていないので、街のパン屋さんでパンを買って車で食べつつ向かいます。

早朝から営業しているアッサンのパン屋さん

アスワン市街からアブシンベル神殿へ向かう途中、ほぼ何もないところを通っていくのですが、途中に休憩所を兼ねたようなカフェがあるので寄っていきます。バスが何台も停まっていて、このカフェはアブシンベル神殿へ向かう観光客向けだけで営業しているのだと思います。

アブシンベル神殿へ向かう途中にあるカフェ

このカフェの周りには本当に何もないので地平線とともに朝焼けが見れます。ちなみに帰りにはここで蜃気楼も見られました。おーこれが本物の蜃気楼…!!となりました。残念ながら蜃気楼は写真には写せませんが…

アスワンの地平線と朝焼け

アブシンベル神殿1

アブシンベル神殿2

アブシンベル神殿3

アブシンベル神殿4

アブシンベル神殿5

アブシンベル神殿6

アブシンベル神殿7

アブシンベル神殿8

アブシンベル神殿9

アブシンベル神殿の隣にはアブシンベル小神殿もあります。こちらは彼の妻ネフェルタリのために建てられたとされています。彼の愛妻ぶりは有名ですね。こういう神殿には威厳を示すために王の像のみが目立つようにあることが多いですが、こちらの神殿にはラムセス2世のほか、彼の妻の像も大きくあります。彼らの子供も足元にいます。アブシンベル神殿本殿のほうには、彼の妻も子供も足元にしかいませんでした。

アブシンベル神殿10

こちらの正神殿にはハトホルが中心に祀られており、このハトホルはネフェルタルのことを指すのではないかとも言われています。

アブシンベル神殿11

アブシンベル神殿12

アブシンベル神殿13

ピラミッドと並ぶエジプトを示すアイコンだけあり、ものすごく見応えがありました。行くのは大変ですが、エジプトに行くならばぜひここも見てほしいですね。

ランチ

この日のランチはアスワンにあるシリア料理店に行きました。チーズを使うものが多かった気がします。エジプトも含め中東の料理はやはり似ているものが多いです。美味しかったです。

ランチ1

ランチ2

ランチ3

エレファンティネ島

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エジプト古王国時代からあった遺跡やアスワン博物館があるナイル川にある島です。今も発掘が進んでいます。ここも渡し船に乗って向かいます。

エレファンティネ島1

エレファンティネ島2

エレファンティネ島3

エレファンティネ島4

エレファンティネ島5

ヌビア村

観光向けではありますが、この地方に古代から住んでいたヌビア人たちの集落エリアです。特に古代の文化というわけではありませんが、鮮やかな色使いなどが現代の観光客にもウケているようです。エレファンティネ島から帰らず直接渡し船に乗って向かいます。この辺のエレファンティネ島から含めての渡し船交渉などは、まさにガイドさんがいないと難しかったことでしょう。

ヌビア村1

ヌビア村2

ヌビア村3

ヌビア村4

ここにはエジプトの有名なキャラクターも書かれていて、そのキャラクターとの写真を撮りたかったらしく、なぜかガイドさんの写真を撮ってあげたことを覚えています。

ディナー

この日のディナーは昼にいったシリア料理のお店の店頭で売っていたチキンの弁当がうまそうだったのでそれを先に買っておいてホテルで食べました。2人で食ってもどう考えても多すぎる。エジプト人は食いすぎである。

ディナー

アスワンの旅はここまででした。次の日からは車で北上しつつルクソールに向かいます。まっすぐ向かって3〜4時間ほどかかるはずですが、その途中に点在する遺跡にも向かいます。

コムオンボ

コムオンボ神殿

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コムオンボ神殿は比較的新しいプトレオマイオス朝の時代の神殿です。ワニの頭をした神セベクと、ハエブサの頭の神ハロエリスの二神に捧げられた珍しい二重神殿です。

コムオンボ神殿はその珍しさからも行きたいところでしたが、ファンとしては何よりもここはジョジョ3部の聖地です。

ジョジョとコムオンボ神殿

ポルナレフとチャカの決戦の地ですね。これがチャカが切った柱か…と思いながら神殿の中を歩いていました。

コムオンボ神殿1

コムオンボ神殿2

コムオンボ神殿3 これがチャカの切った柱だ!!! 触れないように気をつけた

コムオンボ神殿4

コムオンボ神殿5

クロコダイル博物館

egymonuments.gov.eg

コムオンボ神殿からすぐ近くにある博物館。その名の通り、ワニのミイラの展示がたくさんあります。ナイル川には昔からワニがおり、アスワンハイダムができる前までは川の幅ももっと大きかったため、ワニがもっと身近なものであったかと思われます。ヌビア村ではワニをペットとして飼う風習が残っていたり、セベクを見てもワニは身近なものであったのでしょう。

クロコダイル博物館1

クロコダイル博物館2

クロコダイル博物館3

エドフ

エドフ神殿

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コムオンボからさらに車で北上しエドフに向かいました。この辺まで来ると便利が悪いからか、観光客の数はかなり減ります。この神殿は古代エジプトでは一番人気のある神様と言ってもいいホルスのための神殿で、ホルス神殿とも呼ばれています。以下の写真のような巨大なレリーフや彫像も残っており、古代エジプトの神殿の中で最も保存状態の良い神殿とも言われています。屋外ですら当時の彩色が残っているところもあります。

エドフ神殿1

エドフ神殿2

エドフ神殿3

エドフ神殿4

エドフ神殿5

エドフ神殿6

エドフ神殿7

エドフ神殿8

エドフ神殿9

エドフ神殿10

ところでブルアカのホシノといえばホルスモチーフのキャラとされていますね。ということでこのためにわざわざアクスタを買って持って行きました。彼女が最強ポジションのキャラであるのもホルスの人気を考えると納得できるものがあるかもしれません。

エドフ神殿11

エドフ神殿12

一方シロコのモチーフとされるアヌビスは死後の神ということもあるのか、あまりこういうレリーフでは人気がありません。ここでは珍しくホルスとアヌビスが並んでいる描写がありましたのでこちらもこのために買ったアクスタを持って写真を撮ってきました。

エドフ神殿13

ルクソール

ヒルトン ルクソール

www.hilton.com

2つの神殿を含めた長旅を経て、ルクソールに到着しました。ルクソールは大きな都市なので、大きなホテルもあります。最後にカイロ空港に帰るまでずっとこのホテルにいて、ここを拠点にして残りの観光をしました。最終日にちょっとうるさいイベントがありましたがそれ以外は広く綺麗で落ち着ける良いホテルでした。

ヒルトン ルクソール1

ヒルトン ルクソール2

ヒルトン ルクソール3

ヒルトン ルクソール4 ここでもSTELLAビール

食事

この日も食事の記録がなかったですね。かなり大変な1日だったので朝食、ランチは道中適当に済ませたり、たぶんディナーはホテルのレストランで食べたのかなー。

カルナック神殿

ここからは毎朝ホテルの朝食を食べてから観光に向かっていたと思います。毎朝おいしくいただきました。

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カルナック神殿はカルナック大神殿やカルナック神殿複合体とも呼ばれるとても大きな神殿です。エジプトの神殿で最も大きかったと思います。写真にある羊頭のスフィンクスの参道などが有名ではないでしょうか。ルクソールはエジプト新王国時代の首都であったテーベであったので、当時の首都に建てられたこの神殿には当時の数々のファラオの跡が残っています。

カルナック神殿1

カルナック神殿2

カルナック神殿3

カルナック神殿4

カルナック神殿5

カルナック神殿6

カルナック神殿7

カルナック神殿8 このスカラベ像は半時計回りに7回回ると願いが叶うと言われています。何を願って回ったかは忘れてしまいました

カルナック神殿9 チャカの切ったコムオンボ神殿の柱よりも大きかった

カルナック神殿10

カルナック神殿11

カルナック神殿12

ルクソール博物館

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なぜか訪問の記憶がないルクソール博物館です。

ルクソール博物館1

ルクソール博物館2

ルクソール博物館3

ルクソール博物館4

ルクソール博物館5

ルクソール博物館6

ルクソール神殿

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ルクソール神殿はカルナク神殿の近くにある、こちらもまた大きな神殿です。こちらはツタンカーメンの祖父アメホテプ三世の時代に作られています。ラムセス2世の手により、塔門など今も残っている大きな部分が作られています。カルナック神殿とは違って、人面のスフィンクスではありますが、より大きな参道があります。

ちなみに写真にもある大きなオベリスクは本来もう一つありましたが、ムハンマド・アリーの時代にフランスに譲られました。そのオベリスクは今でもパリのコンコルド広場にあります。

ルクソール神殿1

ルクソール神殿2

ルクソール神殿3

ルクソール神殿4

ルクソール神殿5

ルクソール神殿6

ルクソール神殿7

ランチ

ホテルの近くにある観光客向けのレストランでした。どういう名前の料理だったか忘れてしまいましたが、シチュー的な何かをいただきました。

ランチ

この日はおすすめのランチをいただいた後は、ビールを飲みながらホテルのプールやナイル川そばのビーチチェアなどでゆっくり過ごしました。

ディナー

ホテルのレストランにて。

ディナー1

ディナー2

ルクソールと朝焼けを見渡せる気球

早朝から気球に乗りました。手配はガイドさんにお願いしていました。ルクソール周りの遺跡なども見渡すことができます。意外に楽しかったので良い会社を探してやってみるのはオススメです。

気球1

気球2

気球3 ハトシェプスト葬祭殿が見えます

気球4

気球5

メムノンの巨像

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気球の現場からすぐ近くにあるメムノンの巨像からこの日の観光は始まりました。遅れて飛んだ気球も映り込んでいますね。巨像に開いている穴に風が入って共鳴して、巨像が鳴くというような怪談も以前はあったとか。ルクソール神殿を建てたアメンホテプ三世の像とされています。

メムノンの巨像

ハトシェプスト葬祭殿

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ここまでの記事中よりも度々出てきたハトシェプストの葬祭殿です。彼女は歴史上唯一の女性ファラオでした。とても綺麗に残っています。また、総裁伝はいくつかのファラオのものが残っていますが、彼女の葬祭殿はとても規模が大きいです。

入口から葬祭殿本体まで、少額の追加料金を払い、ゴルフ場のカートのようなものに乗っていきます。歩けないことはないですが、ほとんどの皆さんが乗ってました。

総祭典なので死後の神であるアヌビスがよく登場します。他の普通の神殿にはあまり出てこないので、珍しい気持ちで見ていました。日本では様々なゲームや物語などのモチーフに出てくる人気のある神様ですが、実際の信仰の跡を見るとまた別の面白さがあります。

ここはルクソール市街からも近いためか、一緒に写真を撮ってチップをもらおうとするおじさんがやたらと多かった気がします。

ハトシェプスト葬祭殿1

ハトシェプスト葬祭殿2

ハトシェプスト葬祭殿3

ハトシェプスト葬祭殿4

ハトシェプスト葬祭殿5

王家の谷

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エジプトの歴史を知らない人でも名前を聞いたことがあるということがとても多いと思われる大きな谷です。エジプト新王国時代の歴代のファラオたちの墓が集まっているところです。数十を超える墓がすでに見つかっています。谷を掘って作られており、深いものも浅いものもあります。ルクソールから見て日の沈む方向にあり、太陽と共に旅をして生まれ変わるという古代エジプト宗教の伝説に沿っています。

エジプトで最も有名なファラオ、ラムセス2世もここに墓があるのですが、保存状態が良くなく、入ることができなかったのが残念です。この谷は何度も洪水や盗掘にあっているとされており保存状態の良くないものも多いです。時期によって入ることのできる墓は違うこともあるそうですが、入りやすいところはだいたい決まっているようです。セットになって入れるところと追加料金が必要なところがあります。追加料金が必要なところはとても大きく綺麗に残っているので、私としてはケチらず追加料金を払って入った方がいいと思います。特にラムセス2世の父、セティ1世の墓は圧巻です。ツタンカーメンのミイラも彼の墓にあります。

入った墓 * ラムセス4世 * ラムセス1世 * セティ1世 * ラムセス5世&6世 * ラムセス2世の子 * ラムセス9世 * ツタンカーメン * メルエンプタハ

実はエジプト各地には遺跡の整備などで日本の支援が入っていることが結構あります。ここ王家の谷もそうです。王家の谷入口であるビジターセンターも日本の支援によって建てられたそうです。

www.jica.go.jp

ここも有名観光地で観光客が多く、かつ市街から近いゆえ、トイレチップなどをはじめ、チップ攻撃が多かった覚えがあります。

王家の谷1

王家の谷2

王家の谷3

王家の谷4

王家の谷5

王家の谷6

王家の谷7

王家の谷8

王家の谷9

王家の谷10

王家の谷11

王家の谷12

王家の谷13

王家の谷14

王家の谷15 ツタンカーメンのミイラ

王家の谷16 ツタンカーメンのミイラ

王家の谷17 是非入りたかったラムセス2世の墓

この後あるあるのガイドさんを頼むと自動でついてくる綺麗なおみやげ屋さんを顔を立ててあげる分だけ見て、王妃の谷に向かいました。

王妃の谷

王家の谷のそばにある王妃の谷です。ここの見どころは、ものすごくきれいに残っているというネフェルタリの墓でしたが、私が行った時は修復中で入ることができませんでした。なおネフェルタリの墓の入場料はエジプトの遺跡の中でも群を抜いており入るだけで1万円近くかかるはずでした。私としては払ってでも入りたかったのですが、かなわなかったことがこのエジプト旅行中一番の心残りかもしれません。ちなみにこの入れる入れないの情報は現地の旅行会社の人に聞いても半然としないことが多く、最終的にどっちに転ぶかは現地に行くまでわかりませんでした。エジプトらしいところですね。

王妃の谷1 入れなかったネフェルタリの墓の入口だけでも

王妃の谷2

王妃の谷3

王妃の谷4

ディール・エル=メディナ

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王家の谷近くにある、職人たちの街及び墓です。役人であったセンネジェムと家族の墓もあります。当然小規模なものですが、綺麗に残っているものが見られます。

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ディール・エル=メディナ1

ディール・エル=メディナ2

ディール・エル=メディナ3

ディール・エル=メディナ4 アヌビスがたくさんいるように見えますが、ポーズや服、複数並んでいることからこれは神官が被りものをして踊りを奉納しているそうです

メディネト・ハブ

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ラムセス3世の葬祭殿及び他の小神殿複合体です。ラムセス3世の葬祭殿部分が最も目立つかと思いますが、始まりは他の小神殿の方です。ヒエログリフの彫り方がとても深いのが特徴的に感じました。

メディネト・ハブ1

メディネト・ハブ2

メディネト・ハブ3

メディネト・ハブ4

メディネト・ハブ5

メディネト・ハブ6

ラメセウム

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ラムセス2世はエジプトで最も有名で最も強かったと言われるファラオですが、彼の葬祭殿であるラメセウムはかなり荒廃しています。メディネト・ハブを構成していたラメセス3世の葬祭殿は、このラメセウムをモデルにしたとされています。エジプト全土にさまざまなものをラメセス2世ですが、彼の墓といい、総祭殿といい、当時の面影を綺麗に拝めないのは残念なことです。

ラメセウム1

ラメセウム2

ラメセウム3

ラメセウム4

ラメセウム5

ランチ

この日のランチはガイドさんにドローカルな感じのコシャリ屋さんに連れて行ってもらいました。この辛そうなトマトソースをかけて食べます。ホテルでは上品なコシャリも食べましたが、このような街のローカルのやつの方が美味しく感じました。

ランチ1

ランチ2

ディナー

遅めのランチを食べ、そのままホテルでゆっくりした後、ホテルでディナーも食べました。エジプトの滞在も長くなってきたので、エジプトっぽい食事に疲れている様子が伺えます。

ディナー1

ディナー2

下エジプトのカイロなどではほとんど見られなかった神聖文字やレリーフなどが上エジプトに来ることでたくさん見られたので、このあたりでなんかもう神聖文字もどこにでもあるのでは、みたいな感じになってきていました。当然どこにでもはないのですが上エジプトの遺跡の保存状態の良さを示すことを示す一環だったでしょう。

デンデラ

デンデラ神殿複合体

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ルクソールから車で北上してデンデラに向かいました。他の有名な遺跡に比べるとあまり来るひとが多くはありませんが、見どころのとても多い神殿です。エジプト古王国時代から存在した礼拝施設だったと考えられています。古王国時代から新王国時代まで様々な増築がされたそうです。有名なものはクレオパトラとカエサルの息子カエサリオンのレリーフでしょうか。カエサリオンが成長する前にクレオパトラは死亡しているので、クレオパトラが将来を祈って捧げたものということでしょう。アレクサンドリアのあたりで書きましたが、クレオパトラはその有名さに比べ、あまり彼女に関する遺跡などが残っていません。彼女がいたアレクサンドリアから遠く離れたこの地でも幼い頃から何かと創作などで触れる機会があったクレオパトラの痕跡を見られたのは嬉しいことでした。FGOでもカエサルとクレオパトラとのくだりでは、よく彼らの息子たちの話が出ますが、こういう現実とリンクする部分を見るとまた面白いものがあります。

ここには天井に黄道十二宮をあらわすレリーフも彫られています。現在の我々の常識とは違うものですが、こういうものにもロマンを感じます。

他の見どころとしては、FGOファンとしては見逃せないデンデラ大電球の元ネタがここにあります。最もファンの多いショーであろうキャメロットで、ラムセス2世(オジマンディアス)の居城を空中に飛ばしていたのも、あのクソデカいビーム砲を撃ったのも、このデンデラ大電球の発したエネルギーということになっています。このデンデラ大電球の元ネタのレリーフは地下にあるというのも面白いところですね。

レリーフや彩色の残っているところも多く、エジプトに来たらFGOファンならずとも見てほしいところです。

デンデラ神殿複合体1

デンデラ神殿複合体2

デンデラ神殿複合体3 黄道十二宮の一部

デンデラ神殿複合体4

デンデラ神殿複合体5 デンデラにはハトホル神殿も含まれています

デンデラ神殿複合体6 デンデラ大電球のレリーフがある通路

デンデラ神殿複合体7 デンデラ大電球

デンデラ神殿複合体8 デンデラ大電球、実際でかい

デンデラ神殿複合体9

デンデラ神殿複合体10 クレオパトラとカエサリオン

アビドス

デンデラからさらに北上してアビドスへ向かいます。アビドスは古代エジプトの時代から聖地として扱われていた場所です。アビドスまで来るとかなりの田舎で観光客の数もかなり減ります。エジプトには学校へ行っていない子どもたちが数多くいますが、残念ながらほとんどの観光地で出会う子どもたちは、お金をせびってきたり商売をしている子どもたちであることがほとんどでした。私はエジプトの滞在中にアビドスで唯一、ただ単に外国人が面白くてついてくる子どもたちと出会いました。

ブルアカをしている人にとっては、アビドスというのは聞き覚えのある言葉でしょう。ホシノやシロコの通う高校はアビドス高校とされており、彼女たちはエジプトの神々がモチーフであることから、アビドスもこの地名から取ったものは間違いないと思われます。ブルアカをしている人にとっては多くの観光客よりも思い入れのある二重の意味での聖地探訪となりますね。

セティ1世葬祭殿

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ラムセス2世の父セティ1世の葬祭殿です。この葬祭殿はアビドス神殿とも呼ばれます。ほとんどの観光客がアビドスへ来る目的はこの葬祭殿と言っていいでしょう。完成は息子ラムセス2世が行いました。最も有名な見どころは歴代ファラオの名前を書いた王名表でしょう。

セティ1世葬祭殿1

セティ1世葬祭殿2 ヘリコプターに見えるという神聖文字。実は上書きされた神聖文字が重なってそのように見えるそうです

セティ1世葬祭殿3

セティ1世葬祭殿4

セティ1世葬祭殿5 王名表

セティ1世葬祭殿6

セティ1世葬祭殿7 アビドスのアヌビスの前で撮るシロコの写真

セティ1世葬祭殿8 アビドスでホルスとアヌビスが並んでいるところを一生懸命探して撮った写真

アヌビスとホルスは神様として同時に並んでいることが描かれているのはほとんどないと思います。アビドスの壁を見ながら、この二神が並んでいるところをめちゃくちゃ探しました。この写真を撮ったときにブルアカのアビドス聖地探訪をやりきった気持ちになりました…

セティ1世葬祭殿9

ランチ

これまでいくつかエジプトのローカルな食事をしてきましたが、アビドスにはレストラン自体もそうありません。ガイドさんに見つけてもらったレストランですが、かなりのローカルぶりを味わうことができました。

ランチ1

ランチ2

ラムセス2世の葬祭殿の前で出会った子供達

ラムセス2世葬祭殿

abydos.org

セティ1世葬祭殿のすぐそばにあります。

ラムセス2世の葬祭殿としては、ルクソールで出てきたラメセウムが有名ですが、実はアビドスにもラムセス2世への葬祭殿が別に存在します。ガイドさんでさえもその存在を認知しておらず、地元の人に聞き込みをして行きました。エジプトでのGoogleマップレビュー欄あるあるですが、よく地点を混同している人がいます。このラムセス2世の葬祭殿とセティ1世の葬祭殿を混同していることがほとんどのようでした。

しかも通常、このラムセス二世の葬祭殿は規模も小さくあまり保存状態も良くないことからか公開されていません。ガイドさんに管理人との交渉をお願いした末、入れてもらうことができました。そのため、もしかすると私が撮ってきた写真は観光客が撮れたものとしては結構貴重なものかもしれません。

ラムセス2世葬祭殿1

ラムセス2世葬祭殿2

ラムセス2世葬祭殿3

ラムセス2世葬祭殿4

ラムセス2世葬祭殿5

ラムセス2世葬祭殿6

ラムセス2世葬祭殿7

ラムセス2世葬祭殿8

ちなみにここに入れた時は、珍しい場所に入れた興奮もあって、たくさん写真を撮っていたのですが、それを見たガイドさんが僕をエジプト研究者だと思ったらしいです。ただのプログラマーです。

おまけ

アビドスからの帰り、高速道路のような道路上でもエジプトではよくある光景

ディナー

ディナー1 この日ホテルではなにかのイベントをしていました

ディナー2

この日のディナーはルクソールでもう長い間生活されている日本人の方とお会いしてお話を聞きました。やはり長い間住んでいても、エジプト人との間には文化の違いを感じるそうですが、それでもここをホームだと体が感じるそうです。そのような土地に巡り合うのも素晴らしいと思います。

デイル・エル・シェルウィット

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この日はカイロ空港へ帰る日ですがルクソール空港からの出発前に軽く観光をしました。このデル・エル・シャルウェイト修道院は、来ている人が私たちだけでした。

デイル・エル・シェルウィット1

デイル・エル・シェルウィット2

ミイラ博物館

egymonuments.gov.eg

この長いエジプト観光の最後の訪問場所でした。貴重な展示ではありましたが、これだけ観光するともうミイラもたくさん見たので、初めて見たときのような感動はさすがにありませんでした。

ミイラ博物館1

ミイラ博物館2

ミイラ博物館3

ルクソール空港からカイロ空港へ

この後、街のカフェで多少の休憩をした後、ルクソール空港からカイロ空港へ帰りました。ルクソール空港でもエジプトにありがちな高圧的な職員たちがいましたが、なんとか無事に帰ることができました。空港の建物に入るときにも厳しくチェックされ、入った後も入口近くの椅子に座っていると、邪魔だから早く動けのように言われます。英語のできる別の丁寧な職員の方がフォローをしてくれましたが…

カフェ サハラブという甘くて温かい飲み物

おわりに

これにて合わせて10万文字以上になったエジプト旅行記を終わります。かなりマニアックな内容になったため、ほとんど見られることはないと思いますが、これだけ有名な観光地であっても、エジプトというのはなかなか難しい土地なので、実際に行く方の助けになればと思っています。小さな頃から何度もテレビで見た、創作の中で触れたエジプトという土地とエジプトの遺跡、偉人たち、数々の実際のそれらに出会うことができたことは、とても楽しい体験で間違いなく一生の思い出になりました。

エジプト縦断旅行記及び聖地探訪 (ジョジョ3部、FGO、ブルアカなど) 下エジプト(アレクサンドリア、カイロなど)編

2025年2月に2週間かけて、エジプトを縦断しました。最初は昨年9月にいったギリシャとくっつけようと思っていたのですが、終わった今ではどう考えても分けておいて良かったです。無理ゲー。ほぼ最北のアレクサンドリアとほぼ最南のアブシンベルまでです。とても厳密に言うなら違ういますが、日本で稚内岬から沖ノ鳥島まで行かないと日本縦断したと言えないのかとは言わないと思うのでよしとします。

長い上に密度のすごい旅行だったし、自分としてもよく覚えているうちに旅行記は書いておきたかったものの想像するだけで分量がすごくてなかなか手がつけられず、季節がだいぶ変わってしまいました。生成AIに書かせて楽したかったのですが、生成AIは私の経験を知らないので書かせることができませんでした。

古代から中世にかけての世界史好きとしてはあまりにロマン溢れる地エジプトなので行きたいスポットが多すぎる、かつ全土に渡っていました。エジプトは公共交通機関のあまり発達していない、かつテロもたびたび起こる安全とも言いがたいエリアであり、自然も過酷な地なので気軽に歩くというわけにも行かなそうだと判断しました。というわけでだいぶ長い時間をかけて計画をし、いつもは最低限しか使わない現地ガイドさんもフル活用しました。出発1、2ヶ月前の時点で妹もついてくると言いだしたのでさらに気を使った旅行計画となりました。今回は写真も特にたくさん撮りたかったので結果としては助かったかもしれません。

日本との往復飛行機

日本との往復には、日本とエジプトの唯一の直行便であるエジプト航空を利用しました。通常であれば中東でトランジットするのが最も一般的でしょう。成田空港は使いたくないのですが諦めました。飛行時間は13時間ほどだったかと思います。かなり長いのでおじさんとしてはエコノミーではちょっと覚悟がいるかなと思うところです。

エジプト航空はエジプトがイスラム教国家ということもあり、アルコールなどが提供されません。この点、中東の航空会社が世界のハブとなることを重視して世俗主義的な考えを重視しているのとは違いがありますね。まあエジプト国内では飲めるところも売ってるところもあるし、国内ではエジプトのほうがゆるそうなのがまた難しいところです。

エジプト航空機内食1

エジプト航空機内食2

カイロ空港到着

Qasr El Nil Bridge

早朝3時とか4時にカイロ空港に到着したかと思います。エジプトは世界三大うざい土地として有名ですが、この時間でも一歩到着エリアに踏みこんだときから "Taxi?" の嵐です。他の国ではせいぜい空港を出てから客引きがはじまるものですがエジプトはすごい。早朝でも早速うるさい。

エジプト北部一帯を頼んでいたガイドさんと連絡がとれたので待ち合わせ場所に向かいます。この時点でもうガイドさん頼んどいて良かったという感じです。オンライン上の知人からつないでもらったアシュラフさんという方です。エジプトでは観光ガイドは国家資格で、資格を持たないもののガイドは違法というわりと厳しいと感じるルールがあります。

まずはここから車でエジプト北部アレクサンドリアに向かうのですが、そのまえにカイロ市内の Qasr El Nil Bridge に向かいます。カイロは日本で想像する渋滞とは全く違うレベルの渋滞が全日発生しているのですが、早朝だけは比較的穏かであり、Qasr El Nil Bridge はその渋滞が特にすごい市内中心部にあるので、このタイミングで向かい、写真撮影などのために向かいました。

なぜわざわざ橋などに向かうのか。それはジョジョ3部のラストバトルの地のモデルだからです。google mapの口コミを見てみましょう。

https://maps.app.goo.gl/n4QKeJFe7cQ17TD67

承太郎の超必殺技ポーズ

どのジョジョ立ちでとるか、いろいろ考えていたのですが、ジョジョの格ゲーの成功作) から承太郎の超必殺技のときのポーズを採用しました。このゲーム大好きで良くゲーセンでプレイしていたので、ジョジョ立ちといえばでまっさきに出てきてしまうのです。

あとから気付いたんですが、早朝夜明け前ににこの橋に行けたのは作中の戦闘時間ともバッチリ一致しますね。色んな意味で早朝で良かった。

ジョジョ格ゲー

ちなみにこの橋は一般的な観光地でもあり、このようなモニュメントもあります。この時間以外にも何度も観光中通りがかりましたが、この時間でもなければ近くに車を止めて写真撮影をしている時間などはないです。

Qasr El Nil Bridge

アレクサンドリア

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エジプトのコーヒーショップ

アレクサンドリアまで3時間程度だったかと思います。一回早朝からやっているコーヒーショップで休憩を挟みつつひたすら走ります。ちなみに朝5時とかだったと思いますが、この時間でも外国人と見るやトイレに人が待機しだし、トイレチップをもらう準備をします。すごいぜエジプト。今までの国でもトイレにチップを要求する場面はありましたが、せいぜい繁華街のクラブとか、もしくは僻地の管理が大変そうなところぐらいのものだったのですが、エジプトでは誇張なく 空港とホテル以外の全ての施設ではトイレの使用に小銭が必要と思っておくといいです 。 本当に。ところによっては渡した額に注文をつけてくるぐらいです。公共の施設でもです。本当にすごいぜエジプト。強い心で無視 or 拒否することはできるところもありますが、無用なトラブルを避けるのは大量に小銭を持っておくのが正しいでしょう。なお日本ではエジプトポンドに両替できるところはありません。カイロ空港で両替しておきましょうね。

車が増えてきたなあと思うとアレクサンドリア市街です。ガイドさんやドライバーさんいわく、やはり海産物はアレクサンドリアがうまいそうです。そりゃなんでも産地が一番だよな。あと、アレクサンドリアの良いところとしてガイドさんがあげたのは、信号があることだそうです。このときはまだ良く分かっていませんでしたが、カイロには本当に信号がないのです。

アレクサンドリアはエジプトのほぼ最北、地中海に面した都市です。この都市名はもちろんかのアレクサンダー大王に由来します。ペルシャ・アラビア文化圏でのイスカンダルという呼び方も有名ですね。彼は空前の大帝国を築きましたが、征服、建設したいろんな土地にアレクサンドリアと名付けています。そのうちでもっとも有名なのがエジプトのアレクサンドリアでしょう。

日本でまだ粘土こねて土器をつくりはじめた縄文時代、こちらではもうマケドニア人のアレクサンダー大王は鉄をもってギリシャからインドまでの大帝国を築いてファラオにもなっていたわけです。ロマンがすごい。 その後も大王を継いだプトレマイオス1世の治世で建設したという当時全ての知識が集うとまで言われたアレクサンドリア大図書館、世界七不思議のファロスの大灯台、さらに最後のファラオ、クレオパトラの宮殿など世界史の重要事項がありまくるわけで、世界史好きとしてはそんなロマンあふれる土地なのです。

つい先日10周年を迎えた日本のソシャゲ、FGOではアレクサンダー大王はイスカンダル、プトレマイオス1世はプトレマイオス、クレオパトラ、ツタンカーメン、ラムセス2世はオジマンディアス、ニトクリスとさまざまなファラオがキャラクターとして実装されており、彼や彼女たちからエジプト、特に彼らが生きた古代エジプトに興味を持った人も多いのではないでしょうか。エジプトには彼らの生きた跡があります。もともとエジプトが好きでなくても、彼らのファンであればイスカンダルやプトレマイオスが築き、クレオパトラが自殺したというアレクサンドリア、例え今に残っているものは少なくとも来たくなるものでしょう!

アレクサンドリア市街

カタコンベ

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アレクサンドリアではまずカタコンベに向かいました。地下墓地です。2世紀から4世紀ごろ、ローマ帝国の支配下に入った時期ですね。このころぐらいから古代エジプト宗教信仰は終わりはじめてしまう時期です。

カタコンベ1

カタコンベ2

カタコンベ3

カタコンベ4

カタコンベ5

カタコンベ6 アシュラフさん

アレクサンドリア 海岸

これはもうアサシンクリード。さっき書いたように古代エジプト宗教の終わりの時期なので描かれたり彫られたりしているのはエジプトの神様ですね。ジャッカル顔のアヌビスなどはモチーフにされることも多く有名でしょう。いろいろ役割はありますが死者の神です。また合わせて復活の女神イシスとミイラが描かれていたりします。ただ彼らの服装にローマ風の装飾が見られ、古代エジプト宗教においてもローマ帝国の影響があったことが分かります。このへんはもっと古い他の神殿などを見ると違いが分かってまた面白いです。

こういう景色を見てさっそく「興奮してきた!!!!!!!!!」となった人は素質があります。遺跡に行きましょう。

アレクサンドリア図書館

アレクサンドリア図書館 - Wikipedia

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先ほども名前が出ました、アレクサンドリア図書館です。オリジナルは略奪や火災により失われました。当然のことではありますが、世界全ての知識があるとまで言われた威容の面影を感じてみたかったですね。

アレクサンドリア図書館1

アレクサンドリア図書館2

アレクサンドリア図書館3

アレクサンドリア図書館4

アレクサンドリア図書館5

アレクサンドリア図書館6

アレクサンドリア図書館7

現在のアレクサンドリアにはその名前を引きついだ新アレクサンドリア図書館があります。もちろん往時の図書館を意識した、アレクサンドリア図書館再建プロジェクトの成果です。

その名に合わせて世界中の数多くの蔵書がありました、折角なので日本語の本も探し、ガイドさんやスタッフさんとともに探してみたのですが、なんと専用の区画さえありませんでした。中国のものに紛れて本自体は数冊発見できましたが…中国はもちろんのこと、韓国の区画もあったのに…

エジプトには国家的なプロジェクトにも多くの日本の貢献があり、記念碑などもあるのですが、思わず日本の世界への影響力の低下を肌で感じたときでした。

ランチ

エジプト1日目でアレクサンドリアということで、定番でいきたく、いかにも観光客向きのレストランに行きました。

Fish market marina1

Fish market marina2

確かマンゴージュース

注文したらとりあえず出てくるやつ

たぶんスズキの焼き魚

まあメニュー的にもそうですし、まだ異国情緒はありません。イカフライなんかはカラマリといって海はさんで向かいのギリシャ語ですからね。ピラフにあるように、エジプト料理にもご飯がよくあるのが意外と言えばそうでしたね。エジプトではパンとかと一緒にペーストが一緒に出てくるのですが、これらがババガヌーシュというナスのペーストだったり、タヒーナというごまのペーストだったりします。これらは代表的なエジプトの家庭料理ですね。これらをアエーシというトルコのケバブなどを包んでたべるピタパンのもうちょっと薄いやつみたいなアエーシというパンにつけて食べます。エジプト中どこでも、いろんな店で出ます。微妙に味が違うのでおもしろいです。

こういうところではだいたいガイドさんは別のエリアで食べたりします。僕としては一緒に食べたかったのですが、ほとんど一緒に食事する機会はなかったですね。そういうものなのでしょう。

Hilton Alexandria Corniche

www.hilton.com

僕はだいたいホテルの選び方にこだわりがないときはヒルトンにしています。世界中のある程度規模のある都会だとどこでもあるので、エジプトのように治安が微妙とされるようなところでは特にヒルトンのような、ある程度信頼のおけるところに泊まることにしています。あと客商売に対する姿勢というのは世界中いろいろですが、こういう系列のホテルだと一定の期待していいもののラインがあるので楽です。あとで分かりますが、特にエジプトではこれは良い姿勢でした。気の抜けないシーンがたくさんあるので泊まるところぐらい普通でいたい。

ただちょっとここのロビーの方は頑固というか、ヒルトンアプリの受付画面やメールを見せてもチェックインをせず、どうしても彼女の希望する番号を見つけて伝えないと手続きしてもらえないというおもしろい方でした。このようなことは他のホテルではなかったので、おそらく彼女の問題でしょう。

エジプトではどこでもそうでしたが、観光施設のみならず、ある程度しっかりしたホテルなどの施設前では必ず荷物検査があります。毎回です。ちょっと面倒ですがそういう事情のある国ですから、エジプトの命綱である観光を守るために気合を入れているとポジディブにとらえておきましょう。

アレクサンドリアということで地中海の見える部屋をリクエストしていました。

部屋からの眺め 1

部屋からの眺め 2

部屋に置いてあったフルーツと激甘スイーツ

ベッドルーム

まだ1日目なのでエジプトにいることだけでテンションをあげることができます。アレクサンドリアにいるだけで嬉しい。

あのアレクサンドリアにいる!!!!記念

ちなみにこの日は早朝着即長距離移動ということでさすがに疲れたらしく、ホテルでうとうとしたら普通にレストランの営業時間を逃がしました。ただ普通に疲れていたので日中買ったおかしと部屋に置かれていたフルーツと激甘スイーツで全然やりすごせました。

ポンペイの柱

アレクサンドリア2日目、朝食を食べ早速観光へ向かいます。

アレクサンドリのホテルの朝食

2日目の最初はポンペイの柱です。

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ポンペイの柱 with スフィンクス

ポンペイの柱はグレコローマン時代の神殿の一部です。アレクサンドリアで唯一、元々あった場所に現存している古代のモニュメントだそうです。

これ、写真で見てもイマイチでかさが伝わらないと思うんですが、自分が一緒に移るとそのでかさが分かりやすいかと。不自然な部分は妹の姿を消したためです。

ポンペイの柱

柱部分はこれでひとつの岩からくりだしてるわけでとんでもないですよね。これは赤花崗岩でナイル川から流れてきた、もしくは運んできたものらしいです。これが何本も並んでいたはずだったんですから、すごいですよね。現代でもこんな柱を一つの岩からくりだすなんてのはおそろしく贅沢な話です。

おそらく出土品

地上部分はほぼ完全に荒廃していますが、神殿の一部なので、地下が少し発掘されて聖域などが公開されていました。

セラペウム

聖域

図書館跡

ハトホルの像のレプリカ

そしてこちらは移動中にアシュラフさんにもらったエジプトのおかし。ここまでにもいくつかエジプトのおかしはそのへんで買えるものやホテルで食べられるものなど食べましたが、基本的に歯がなくなるかと思うような甘さです。砂糖がべっとり口内ではりつくのがデフォルト。ただこのおかしはちょうと良かったです。さすが日本語ガイドさん。日本人の味覚を分かっている。

これはデーツのビスケットですが、デーツのものはチョコレートでもスッキリした甘さのものが多くて良かったです。おみやげにもこのへんの甘さだと日本の人にも喜ばれるのではないでしょうか。

エジプトの日本人に丁度いいおかし

グレコローマン博物館

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エジプト旅行でアレクサンドリアまで行く人はそう多くないと思いますが、アレクサンドリアにわざわざ行くような歴史好きには刺さる博物館だと思います。その名の通り、グレコローマン時代の博物館です。アレクサンドリアが好きなんて人はこのへんの時代が好きに決まっている。

グレコローマン博物館1

グレコローマン博物館2

古代ギリシャからの流れをくむ、ローマ帝国初期の特徴を持つ彫刻、モザイクと、古代エジプトの宗教が合わさったヘレニズムを表現する魅力のある展示がたくさんあります。アレクサンダー大王が世界をつなげた結果あらわれた文化ですね。前にギリシャに行っていたこともあり、文化の流れを感じました。

グレコローマン博物館3

グレコローマン博物館4

グレコローマン博物館5

グレコローマン博物館6

グレコローマン博物館7

グレコローマン博物館8 スフィンクス

グレコローマン博物館9 ワニのミイラ

グレコローマン博物館10 棺

グレコローマン博物館11 エウテニアの彫刻

グレコローマン博物館12 周辺時代のコイン

グレコローマン博物館13 ギリシャ風彫刻

アレクサンドリア国立博物館

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こちらの博物館のほうがグレコローマン博物館より小さいのですが、こちらの博物館にも貴重なものがあります。

アレクサンドリア国立博物館1 入口

アレクサンドリア国立博物館2 アクエンアテン

アレクサンドリア国立博物館3 ハトシェプスト

アレクサンドリア国立博物館4 ハトホル

アレクサンドリア国立博物館5 セクメト

アレクサンドリア国立博物館6 着色が残っている石碑

2枚目の写真はアクエンアテンの彫刻です。あまり名前が日本では知られてないですが、彼の息子が有名なツタンカーメンです。アクエンアテンは当時の宗教改革を行った力のあるファラオでしたが、旧来の宗教権力と対立するものでした。なのでツタンカーメンの世代ではその旧来の権力への揺り返しがあり、アクエンアテンの改革が結局巻きもどることとなりました。

3枚目の写真、ハトシェプストは女性ファラオのうちもっとも強い権力があったともいわれる女性です。彼女の歴史なんかはすごいドロドロとしていて、古代から変わらない人間の闘争を思わされます。

4枚目ハトホルは今までの写真だと動物形態のものを掲載しました。エジプトの神様は人間形態と動物形態みたいなのがあります。ハトホルは豊穣の神ということで人気がある神ですね。

5枚目セクメトは戦争や破壊の雌ライオンの頭の神です。彼女もその神性からゲームなどでは良く名前が出てくる神様ですね。

カイト・ベイ要塞

カイト・ベイ要塞1 駐車場から

次に向かったのはカイト・ベイ要塞に向かいました。カイト・ベイ要塞は実際に使われていたジエプトの軍事要塞です。現在は軍事博物館となっています。

古代にロマン感じる人間として大事なことは、ここはファロスの大灯台があった場所ということです。

ja.wikipedia.org

現在まで残る世界の七不思議はもうギザのピラミッドだけですが、ファロスの大灯台はそれに次いで残っていたとされています。そしてこのカイト・ベイ要塞は、ファロスの大灯台の石を使ったといわれています。

つい最近のニュースではファロスの大灯台の一部と見られる石が見つかっています。

archaeologymag.com

アレクサンドリアはナイル川が海に注ぐ地点ですから、海の透明度も低く、調査は難しく、クレオパトラの宮殿など、そこにあるはずだが調査できていないという多くの重要な遺物が眠っているとされていますが、まだまだ調べられていないそうです。今回の発見で調査が進むと良いですね。

www.m-matsu.com

また、逆に良く分からんのならそこら一体を見られるようにしちゃえばいいのではという発想の逆転で海底博物館を作っちゃえばいいのではという計画もあるそうです。後続のニュースを聞かないのでたち消えにでもなってしまったのでしょうか。

natgeo.nikkeibp.co.jp

ここまでの博物館を中心とした観光地ではいませんでしたが、こういう分かりやすい観光地になると、スタッフや監視の方、あとたぶんそこらへんから入りこんだような方々が老若男女問わず、手を出してくるようになります。金くれってことですね。エジプトでは全然珍しくありません。街中でもどこでも、外国人と見るや金くれって言われるのはエジプトでは良くあることです。あげてもいいですが、それを見た周辺の人から「あいつはカモだ」と思われる可能性もあります。気をつけましょう。

カイト・ベイ要塞2 入口付近から

カイト・ベイ要塞3 覗き窓

カイト・ベイ要塞4 礼拝室

カイト・ベイ要塞5 居室?

カイト・ベイ要塞6 廊下

カイト・ベイ要塞7 要塞から望むアレクサンドリア市街

ランチ

ランチ1 最初に出てくるやつ

ランチ2 ほうれん草のスープ

ランチ3 エジプトでよくあるチキンとよくあるピラフといつもついてくるフライドポテト

ここではヨーグルトのペーストが出ました。ギリシャのサジキなどに良く似ています。これまた文化の近さがわかりますね。そういえば、トルコではキョフテというとひらべったいハンバーグみたいなのが出てくるのですが、エジプトでは団子だったり細長い形状で出てきたりします。トルコはかつて支配されていたオスマントルコ帝国などの時代から、イスラム・アラブ文化というところで文化の近さがありますね。

あとこのナスの焼いたっぽいやつも色んなところで出ました。定番前菜なのでしょう。

次にエジプト料理といえばのこのほうれん草のスープですね。どこで飲んでもおいしかったですが、これまたところにより味が違います。ムルキーヤというそうです。

メインはエジプト中どこでも出てくるタイプの特にチキンとピラフ、あとなんにでもついてくるフライドポテトです。特に言うことなし。

シーシャ

ランチのあと、15時ぐらいになっていたところ、アシュラフさんがシーシャを吸ってみたければ景色の良いカフェがあるのでどうですかと提案してくれたので是非と行くことにしました。

wave cafe1

wave cafe2 本場のシーシャ

wave cafe3 シーシャ上部にこんな炭をいれる

wave cafe4 地中海を見ながらシーシャを吸う僕

1日歩いて疲れていたのでゆっくりすることができました。提案に感謝! 近代のエジプトの偉人、ムハンマド・アリーはシーシャを好んでいたそうで、ムハンマド・アリーのようですねと褒められました。おそらくエジプトでの定番褒めワードなのでしょう…

ホテルにかえってきてアレクサンドリア編が終了

その後はホテルに帰って翌日からのカイロ・ギザ、そしてピラミッドのために体を休めつつ、ラウンジと兼用となっているレストランで適当に晩飯を食べました。旅の間、朝昼と歩きまわって疲れて夜はあまり食欲がないことが多かったですね。確かここで飲んだワインの名前がクレオパトラだったような…まあまあでした!

確かここあたりでターメイヤというエジプトのソラマメのコロッケも食べました。モロヘイヤのスープと並んでお気に入りエジプト料理。

ディナー1

ディナー2

翌日早朝のチェックアウトに向けて就寝。2日目が終わり。

カイロ及びギザ

早朝のアレクサンドリアのホテル前の海岸道路

3日目は早朝にアレクサンドリアのホテルをチェックアウトし、カイロへ戻ります。

旅程の都合上、アレクサンドリアを先に持ってきましたが、エジプトといえばピラミッドなのは万人がそう言うもの。いわばメインコンテンツ。めちゃ期待を膨らませて戻りました。

三大ピラミッド (クフ、カウラー、メンカウラー)

クフ王のピラミッド

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アレクサンドリアを出て直接三大ピラミッドに向かいました。車に乗ってる状態でもピラミッドが見えてきます。なんだか富士山を見たときのような心持ちです。テンションあがってきます。

アレクサンドリアから直接ギザのピラミッドのそばまで来た!

クフ王のピラミッド1 入口近くから

クフ王のピラミッド2 自分との比較

クフ王のピラミッド3 ピラミッドのひとつの石との比較

クフ王のピラミッド4 近くから

クフ王のピラミッド5 内部入口脇の看板

クフ王のピラミッド6 内部入口すぐ

クフ王のピラミッド7 内部の階段1

クフ王のピラミッド8 内部の階段2

クフ王のピラミッド9 玄室

クフ王のピラミッド10 玄室の棺と僕

クフ王のピラミッド11 棺

クフ王のピラミッド12 玄室の入口

クフ王のピラミッド13 内部の階段を玄室側から

クフ王のピラミッド14 近くから見あげるクフ王のピラミッド

エジプトといえばこの三大ピラミッド、とりわけ最大のピラミッドであるクフ王のピラミッドでしょう! 紀元前2500年ごろに作られたそうです。紀元前2500年ごろですよ?日本だと縄文時代の終わり。やっと稲作が伝わったころです。その頃エジプトでは天文や幾何学、三角関数を駆使したピラミッドが立てられているのです。ロマンしかない。どうやって作った、どうやって石を運んだなども理由はつけられていますが、まだまだ本当にそうなのか?という部分が多いと言われるピラミッド。ちなみにクフ王のピラミッドに至るまでにももちろんたくさんのピラミッドが作られており、クフ王のものはかなり最後に近いです。彼らの時代以降はさまざまな理由で巨大なピラミッドは作られなくなりました。強大な国力と技術の結晶というわけですね…

僕が行ったのは2月でエジプトでも寒い部類の時ですが、ピラミッド内部は蒸し暑く、玄室まで行って帰ってくるひとはみんな汗だくでした。もちろん僕も汗だくになりました。写真で分かるようにかなり急な階段や梯子を登ります。ある程度お年を召された観光客もいらっしゃいましたが、無理だなと思われたら引きかえしましょう。なにしろここには人を運ぶ機械などは入れません。もし動けないことになどなれば大変なことになります。夏などになればなおさらです。

玄室に着くと噂通り、おそらくは監視のためにスタッフがいらっしゃいますが、実質はチップをもらって写真を撮る人がいます。彼にチップを渡すとスタッフパワーで棺の周りから人をどけて写真を撮ってもらうことができます。僕は撮れるタイミングで勝手に撮りましたが、必要そうな人は頼んでみるのもありかもしれません。

写真の紹介では玄室や棺としていますが、この玄室からクフ王のミイラは見つかっていません。盗掘にあったものと考えられています。因みに現在玄室までの入口として使われている穴も、盗掘時に開けられたものだそうです。

日本のテレビでも有名な吉村作治先生は、クフ王の本当の墓はこのピラミッド横の西部墓地というところにあるのではないかと現在発掘されているそうです。ピラミッド横から発掘された太陽の舟の復元プロジェクトのクラウドファンディングの際には僕も微力ながら協力させていただきました。

現在は吉村先生のようにピラミッドは王の墓ではなかったという説も出てきているらしいのですが、ピラミッドによっては王のミイラや内蔵壺が見つかっているというところもあるようで、謎は混迷を深めるばかりです。ピラミッドなどは近代までかなり埋まっている部分もあったということで、ずっと管理されていたわけでもなく、宗教としては現在は忘れられた古代エジプトの信仰が維持されていないこともありますし、分からないことがロマンではありますが、謎を解消できる証拠が見つかる日を祈るばかりです。

ちなみにクフ王のピラミッドはこんなに有名で巨大なのに、クフ王自身についてはわりと謎が多い王となっています。ファラオの彫像というのはたくさん作られるものですが、クフ王の彫像と分かるものは今のところ見つかっていません。民家から見つかったとても小さいミニチュア彫像のようなものだけと言われています。同時代の息子カウラーや孫メンカウラーのものは見つかっているのにです。どうしてなんでしょうか…

江戸時代終わりの遣欧使節団の写真からも結構埋まっているのが分かりますね。

スフィンクス前で集合写真を撮る池田使節団

www.ndl.go.jp

カウラー王、メンカウラー王のピラミッド

ja.wikipedia.org

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三大ピラミッド残り2つ、カウラー王、メンカウラー王のピラミッドを見に行きます。カウラー、メンカウラーはクフの子、孫です。彼らの時代の国力の強さが分かりますね。

ピラミッドエリアはひとつの入口で全部見ることができます。一応柵などはあるのですが、周辺の都市からこのエリアはすぐで、かつ柵なんかあるようなないようなものなので、おそらくは周辺から現地の方々が入ってきていらっしゃいます。ものを売るのはおそらく厳しい規制があるので売店エリアぐらいでしたが、ここらへんは詐欺の超頻出エリアです。ニセ警官、ニセガイド、勝手ガイドなど盛りだくさんです。ちなみに冗談ではなくそこら中にいます。エジプトではボディガードな意味を含め、ガイドさんを雇うのが良いと思います。エジプトを縦断したなかでもやはりこのピラミッド、スフィンクスエリアが一番ひどかったですね。

エリアの移動はガイドさんがいれば結構広いので舗装されている部分は車で移動ができます。なんだか最近はこういうガイドたちの車を禁止して決まったバスを走らせるようになったとも聞きました。是非確認してください。

カウラー王のピラミッド

クフのものの隣にある、クフの息子カウラーのピラミッドです。白い化粧石が頂上付近に少し残っているのが特徴です。三大ピラミッドはもともとどれも完全に化粧石で覆われていたようですが、現在はこれだけしか残っていません。アサシンクリードオリジンズというゲームでは当時を再現した綺麗なピラミッドに登ることができます。どんなのだったんだろうなーと言う人はやってみてください! アサシンクリードシリーズで僕はオリジンズが一番好きだというぐらい良くできたゲームでした。

メンカウラー王のピラミッド

さらに隣にある、カウラーの息子メンカウラーのピラミッドです。三大ピラミッドのなかで最も小さいですが、王妃たちの小ピラミッドや参道などもあります。

クフ王のピラミッドの近くを離れるとだいぶ観光客が減って静かめになります。カウラー、メンカウラーとクフ王のものから離れるごとに減る感じでした。ゆっくりピラミッドをみたいなら少し離れたこちらまで来ると良いでしょう。

カウラーとメンカウラーのピラミッドは週替わり?でどちらかに入れるらしいのですが、この時は入れないようでした。ちなみに他の場所でもそうなのですが、エジプトの歴史観光資源は修復や調査などの都合から閉鎖されることがあります。事前に分かることもあるかもしれませんが、毎日観光客とやりとりをするような人たちでも全然分かってないことが多いです。特に通知などないことも日常茶飯事だそうで、いや3日前に行ったって人は聞いたんだけどねえ…ぐらいの感じです。行けないときは行けない。諦めましょう。

ピラミッドエリアのフォトポイントやラクダ乗り

ピラミッドフォトスポット1

ピラミッドフォトスポット2

ラクダ乗りスポット1

ラクダ乗りスポット2

ラクダ乗りスポット3

ラクダ乗りスポットからギザのスフィンクスへの移動中に見るメンカウラーのピラミッド

ラクダ乗りスポットからギザのスフィンクスへの移動中に見るカウラーのピラミッド

ピラミッドのフォトスポットまではまた車で移動しました。写真の通り結構ピラミッドから離れなきゃいけないわけで徒歩だと地味なしんださだと思います。ガイドの車の乗り入れがなくなるならこんなとこへの移動もなくなるのかな…

ラクダ乗りスポットはガイドさんの案内で行ったところですが、先にガイドさん経由で料金を渡してもらいました。その際、チップ込みで払ってるから言われても渡さなくて大丈夫です、と言われます。よくエジプトでの体験記ではラクダ乗り体験でたくさんチップとられた!みたいな話もありますが、私の場合はガイドさんがいたからか大丈夫でした。エジプトではよく子供も働いていますが(現地の人の話では良いとこ6割ぐらいの子供しか学校行ってないと思うとのことでした)、ここでもそうでした。観光客相手のよくある相手の国を適当にひたすら褒めるみたいな会話をラクダを引かれながらしましたが、ただ金をくれと手を出してくる子供たちとは違い、働いているのでいいかなとガイドさんに確認の上多少のチップを渡しました。普通は事前の忠告通り渡さなくて良いと思います。

この後はピラミッドエリアの最後のスポット、ギザの大スフィンクスへ向かいました。

ギザの大スフィンクス

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ここまでの写真でも出てきたとおり、スフィンクスというのは古代エジプトの遺跡などではそこら中に偏在するものです。とはいえその中でも最も有名で巨大なのはこのギザの大スフィンクスでしょう。

先ほど出てきた三大ピラミッドで2つ目のカウラー王のピラミッドのときに作られたものとされています。ギザの台地の丘そのものを削って作られており、一枚岩です。これほどの大きさのものが岩の組みあわせてもいない、削りだしということですね。今なお世界最大の一枚岩の石像だそうです。ざっと5000年前に作られたものが今も世界最大…ロマンですね…

ギザの大スフィンクス1

ギザの大スフィンクス2

ピラミッドにしてもスフィンクスにしても、行ったことがあれば写真を見て行ったときのリアルを思いだすことができますね。実際に訪ずれるまで何度も写真で見たことがあるギザの大スフィンクスですが、やはり行って良かったと思います。

この写真を整理してみて思ったんですが正面から回るのを忘れていましたね。さすがにそれだけのためにもう1回は行けませんが…

ギザの大スフィンクス前のピザハット

テレビなどで紹介されることの多い、スフィンクスの視線の先にあるピザハットです。入ってはいませんが、2階席からでも十分にスフィンクスを眺めることができると思います。

ランチ

観光客が大量に集められる、ガイドさん御用達のレストランですね。ビュッフェスタイルです。

Tasty House Egypt restaurant

特に何か言うべきことはないかな…ここは宿泊予定のホテルのすぐそばでした。今日の観光はここまでで、ホテルへ向かいます。

Marriott Mena House, Cairo

www.marriott.com

カイロでもっとも有名で古くからあり、かつ贅沢にもピラミッドの真正面にあるホテルです。規模の小さいホテルであればもっと近くでもあると思いますが、ある程度の規模のあるホテルではここが最もピラミッドを良く眺められるホテルでしょう。

カイロは四六時中交通渋滞とそれによりゆっくり進む車たちがクラクションの鳴り響く街です。日本にいると分からないことのひとつですが、本当に鳴り響いています。このメナハウスは敷地が広く、客室が道路から離れています。そのため、かなりその騒音が低減され、落ちついて過ごすことができます。カイロにいる間の唯一静かな時間だったと思います。冗談ではなく。

これらの理由もありますが、近くのホテルではなくこのホテルに来たかった理由、もう勘の良い人や記憶力の良い人ならお気付きでしょうが、

本物のメナハウスとギザのホテル「メナハウス」へ

ジョジョ3部の聖地でもあるんですね!!!なお実際にホテルは登場しません。

ジョジョ28巻とメナハウス

ジョジョファンの方々がきっとこの写真と同じようなものをいくつも撮られているでしょうが、ちゃんとこのためにリアル書籍を持ってきました。

メナハウスの自室から見えるピラミッドと僕

メナハウスの自室

メナハウス1

メナハウス2

メナハウス3

メナハウス4

メナハウス5

メナハウス6

メナハウス7

メナハウス8

メナハウス9 エジプトでの2大ビール「ステラ」

メナハウス10 コシャリ

メナハウス11 早朝

メナハウス12 クシューカ

メナハウス13 ピラミッドの鏡映し

エジプトは全土に渡ってごみがそこら中に溢れていますが、このホテルは一流らしくさすがに綺麗に手入れされており、先に言ったように騒音も少なくとても良い空間でした。自室からもどこを散歩してもピラミッドが見え、エジプトを訪問したという思い出を強く残すことができました。

9番目の写真のビールはステラといいます。FGOで間違いなく最も死亡回数の多いサーヴァント、アーラシュの宝具名ですね。ロゴの通り、星を意味します。ちなみに二大ビールのほうのもう片方はサッカラといいます。このギザと並び、翌日行くことになるもっと古い時代のピラミッドがたくさんある地名です。

10番目の写真はエジプト名物コシャリです。この旅行中に何度か食べました。にんにくの効いたトマトソースをかけて食べます。米、スパゲティ、マカロニなどのひたすら炭水化物と、レンズ豆やヒヨコ豆などが多少まぜられた料理です。狂気の産物。この日はこれと野菜スープを食べましたが、エジプト人のコシャリの量はおかしい。スモールで十分です。

12番目のクシューカというエジプト料理は、トマトをつぶした上に卵を落としたものです。もっと食べたかったのですが、コストがつくのか、ホテルの朝食で見たのはここだけでした。とても気に入ったエジプト料理でした。

もし次またピラミッドに行く機会があるならまたこのホテルに泊まると思います。ややカイロ中心部からは遠いですが、良いホテルでした。訪問場所の関係で残りの日程ではカイロの中心部のホテルに移りましたが、ここが泊まったエジプト全土のホテルでも一番良いホテル体験でした。

サッカラ及びダハシュールのピラミッド群

階段ピラミッド

メナハウスでゆっくり休んで、カイロからやや離れた、サッカラというところへ、クフ王たちより前の時代のピラミッドを見にいきます。ピラミッドも最初からあの完璧な形で組みあげられた訳ではなく、実証を重ねて辿りついたのがあの形ということが分かります。

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階段ピラミッドという形は世界各地に見られますが、エジプトで階段ピラミッドというこのジュセル王のピラミッドを指します。

エジプトの貴人たちの墓としてマスタバという形の墓があります。

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これを王のために巨大化して積みあげたものが階段ピラミッドと言われています。なのでこの延長としてクフのピラミッドたちも墓であるというのはごく自然な解釈です。ちなみにピラミッドの周囲には貴族や高官、王の家族たちのマスタバがあります。

階段ピラミッド1 葬祭殿

階段ピラミッド2 葬祭殿内部

階段ピラミッド3 葬祭殿逆側

階段ピラミッド4 階段ピラミッドと僕

階段ピラミッド5 階段ピラミッド内部

階段ピラミッド6 階段ピラミッド内部奥

階段ピラミッドの内部は人間が普通に通れる広さでクフのピラミッドに比べるとアップダウンもなく、楽々でした。ただ、逆にあまりおもしろみはないかもしれません。

ウナス王のピラミッド

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ウナス王のピラミッド1 入口

階段ピラミッドのそばにある小さなピラミッドです。地上部分は崩れていますが、このピラミッドの真の価値は地下にあります。

ウナス王のピラミッド2 内部通路

ウナス王のピラミッド3 ピラミッドテキスト1

ウナス王のピラミッド4 ピラミッドテキスト2

ウナス王のピラミッド5 ピラミッドテキスト3

ウナス王のピラミッド6 ピラミッドテキスト3

ウナス王のピラミッド5 棺

ウナス王のピラミッド8 ウナスのカルトゥーシュ

地下にはのこのようにピラミッドテキストと言われるものが綺麗に残っています。

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ウナス王は階段ピラミッドの約100年後のクフ王のさらに約200年後の王ですが、巨大なピラミッドを建設できるほどの力が当時のエジプトにはなかったとされているころの王です。紀元前2300年ごろのことです。

ここに残されているテキストは現存する古代エジプト宗教の文献でも最古級のものとされており、王の復活のための呪文などが書かれているそうです。このテキストたちが後の時代に死者の書としてまとめられていきます。

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現代にいたるまで数多の創作に影響を与え続けている死者の書です。本来の内容としてはおどろおどろしいものではなく、復活のための手順などがまとめられているものです。この復活などの宗教はユダヤ教、キリスト教などにも影響を与えているといわれており、まさに世界の文化の源流ともいえる偉大な古代エジプトを示す資料です。

余談ですが、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教をアブラハムの宗教と言いますが、そのアブラハムはカルデアのウルに生まれ、その後エジプトにも辿りついています。エジプトやメソポタミアがいかに古くから自分たちの歴史を残しているか、畏敬の念しかありません。カルデアというのはFGOでもおなじみですよね。実はメソポタミアの地域の名前です。またウルというのはこれまたFateやFGOでおなじみ、ギルガメシュが治めたというウルクと近隣といってもいい範囲にある都市でした。世界はつながっているのですねえ…

絨毯屋

この後また別のピラミッドに行くのですが、移動中にアシュラフさんのガイド的都合により絨毯屋に行きました。プライベートツアーを頼むとこういうのはあるものです。ガイドさんの顔を立ててあげましょう。

エジプトではこれいくらですか?と聞くとだいたい適正の何倍かぐらいふっかけてくるものですが、観光客向けでは5~10倍ぐらい言ってくるものです。僕はこの絨毯屋さんでは5分の1ぐらいまで値切りました。「Oh…you said cut my neck…」みたいなリアクションをしてきますが、本当に無理なら売らなければいいので、これでも彼らには利益があります。安心して自分が出してもいいと思う金額を譲らないようにしましょう。

こういう小さい飾り用の絨毯を買いました。

買った絨毯

屈折ピラミッド

階段ピラミッドのあとに作られました。階段ピラミッドと比べると、より我々が想像するピラミッドに近付いています。階段ピラミッドから60年後ぐらいの完成だそうです。真正ピラミッドを目指したものの、設計ミスのためか崩落の危険があり、角度が修正されてこの形になったようです。このピラミッドはスネフェル王の時代に作られたものです。スネフェル王はクフ王の父です。

長らく数十年間内部へは入れなかったのですが、数年前に入れるようになりました。

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屈折ピラミッドは他のピラミッドに比べ化粧岩がよく残っています。このためか、Google mapなどでは白いピラミッドと誤解している人が多数います。白いピラミッドはこちらのことです。本体は原型を留めていません。

egyptopia.com

屈折ピラミッド1

屈折ピラミッド2

屈折ピラミッド3

入れるようになったと言いましたが、入ることはおすすめしません。入口から80mに渡り、3つ目の写真のようなしゃがんで移動するのが精一杯ぐらいの傾斜を下ることになります。途中で力尽きてもどうしようもありません。この区切りをつくっている木がないと普通にすべり台ぐらいの傾斜です。おれの体力と太ももはちょっとはそっとじゃどうともならん持久力があるぜ!!!!!て言える人以外入らないほうが良いです。そして死にそうな状態で入口まで上がってくると、チップ待ちのエジプト人が手を出してきます。アホかと。

ガイドさんも一度しか入ったことがないと言い、思わず「がんばったな、おまえたち!!!!」のハイタッチが出るほどのしんどさです。

赤いピラミッド

屈折ピラミッドのすぐ近くにあります。

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赤いピラミッド1

材料となっている花崗岩が赤く見えるため赤いピラミッドと呼ばれます。屈折ピラミッドと同じスネフェル王による3つ目のピラミッドです。

このピラミッドが階段ピラミッド、屈折ピラミッドといった段階を踏んでできた、はじめての真正ピラミッドです。高さとしてもクフ、カウラーのものに続いて3番目だそうです。最初に完成にして3番目とは、すごいものです…

赤いピラミッド2

赤いピラミッドも屈折ピラミッドと同じく入れるそうですが、屈折ピラミッドよりマシだそうですがかなり長い通路ということで、屈折ピラミッドで疲労困憊した我々はまったく入る気になりませんでした。

メンフィス野外博物館

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メンフィス野外博物館1 ラムセス2世の巨像1

メンフィス野外博物館2 ラムセス2世の巨像2

メンフィス野外博物館3 ラムセス2世の巨像3

メンフィス野外博物館4 プタハとラムセス2世

メンフィス野外博物館7 ラムセス2世のカルトゥーシュ

メンフィス野外博物館8 ラムセス2世の巨像の足の間の息子

メンフィス野外博物館5 アラバスタのスフィンクス

メンフィス野外博物館6 ラムセス2世の立像1

メンフィス野外博物館9 ラムセス2世の子孫(自称)と僕

古代都市メンフィスはまともに残っているものがほとんどありません。古代エジプトでは首都であり、その後も重要な都市であったメンフィスも今は昔というやつですね。今は一部のものがこのメンフィス野外博物館で展示されているのみだそうです。メンフィスの神殿があった端ぐらいにこの博物館があるようです。

ラムセス2世はエジプト中に自分の神殿やら像やらを作り、時には人の物に自分の名前を上書きするやらで自分の威光をエジプト中に示したわけですが、こういう像も残っています。ラムセス2世の息子の一人はここメンフィスの神官だったということで、この巨像の足の間には自分の息子が彫られています。他の神殿の像でもそうですが、王様のついでに妻や息子が彫られていることがあります。FGOでのラムセス2世(オジマンディアス)は「エジプトの全ての建造物は自分のものである」と言ったという逸話?からピラミッドやらスフィンクスやらを好き勝手扱えるという設定のもと、自分は作ってないピラミッドなどを好き勝手するわけですが、人のものは俺のものというジャイアン的業績を残していることは事実のようです。

ここで土産物屋をやっている人が、ガイドさんいわくラムセス2世の子孫と自称する方であるということで、おもしろかったので大理石の彫刻を買いました。エジプトではよくハンドメイドだって言って値段を上げようとしますが、ハンドメイドの品は玉石混淆で、工場で機械生産されたものより質が良いわけではありません。そのへんは折りこんで交渉しましょう。

サトウキビのジュース

ここからの移動中には飲んでみたくてチャンスがあればとお願いしていたサトウキビのジュースをガイドさんが買ってくれました。とても甘く青臭いジュースでユニークでした。

ランチ

Sakkara Restaurant1

Sakkara Restaurant2

Sakkara Restaurant3

観光客向けレストラン。エジプトのフルーツジュースはとっても濃くておいしいのですが、さすがにそろそろ濃いフルーツジュースにも飽きて水を頼むようになってきたのを覚えています。確かデザートに出たのがデーツです。少し青臭いがそこまで甘くなかったような記憶。

パピルス屋

これまたガイドさんの顔を立ててあげてお土産物のパピルス屋へ。僕は有名な死者の書の安いものを買って親へのお土産としました。妹は女性店員さんとアニメの話で意気投合していたようです。そのへんの偽物より本物である信頼が高いでしょう。僕は裂けにくさや光に透かした感じ、あとはガイドさんへの信頼から本物と信じています。

ラムセスヒルトン

www.hilton.com

ラムセスヒルトン1

ラムセスヒルトン2

ラムセスヒルトン3

ラムセスヒルトン4 エジプト考古学博物館がすぐ見える位置

ラムセスヒルトン5 たぶんラムセス2世と言いたいんであろう像

ラムセスヒルトン6

ラムセスヒルトン7 ラウンジ飯

残りのカイロ滞在はこのホテルです。ナイル側のほとりにあり、さまざまな観光地に近く、カイロ中心部にあるこのホテルは良い立地です。中にスタバ、銀行、土産物屋、ミニコンビニ的なものを備えており、徒歩での移動が外国人には厳しいカイロではとても便利です。ただ中心部にある都市型ホテルなので、25Fぐらいに泊まったと思いますが、この高さでも先に言ったカイロのクラクションの嵐は余裕で聞こえます。

アレクサンドリアのところで触れましたが、カイロには本当に信号がありません。カイロには1週間ぐらいいたはずですが、すぐ渡れそうな交差点で1つ見たぐらいだと思います。部屋からの写真でわかるように、片側5車線ぐらいある、ホテルの目の前のこの道路にも信号はありません。どれだけ歩いても歩行者が渡るための地点なんてのはありません。じゃあどうやって渡るかというと普通にこの道路で車の間に入っていきます。エジプトでは普通です。現地の人は本当にそうやって渡っていますし、物売りのためにそのまま高速道路まで来ます。怖い。東南アジア諸国でもこのような信号のない大きな道路を渡るというのはやってきましたが、ここまでの車の流れ、ここまでのでかい道路というのはカイロが一番でした。ちなみにカイロ滞在中にこの道路を渡ることになりましたが、それはまたその時に。ガイドさんがいる時は危ないということですぐそこでも車に乗せて移動させてくれますので安心してください。

このホテルには気のいいあんちゃん的なフレンドリーなスタッフがおり、滞在中にも何度も会い助けてもらいました。エジプト人の名前はだいたい一緒 (アフメドさんとモハメドさんがめちゃくちゃいる) ので名前を伝えてもあんまり意味ないと思いますが、モハメドさんという人でした。

食事もバラエティがあり、あまり飽きずに朝食は用意されたレストラン、夜はラウンジで問題なく過ごせました。

エジプト考古学博物館

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長きに渡り、エジプトの博物館といえばだったところ。まだまだ現役であるが施設がだいぶ古くなってきており、後ほど訪れる大エジプト博物館 (Great Egyptian Museum で GEM と略される) に展示品を移しつつあるそうです。

エジプト考古学博物館1 開館前から列

エジプト考古学博物館2

エジプト考古学博物館3 スカラベと太陽

展示品は多すぎるので撮った写真を紹介するのはごく一部ですが、あのツタンカーメンの展示品があるのもここです。こちらは近々今後GEMへ移される予定とのこと。ツタンカーメンのマスクなどは結構気合の入った撮影禁止だったので写真は撮れませんでした。黄金のマスク自体は他のファラオのものも発見されているのですが、確かにひときわ保存状態が良かったように見えました。

エジプト考古学博物館4 ラムセス2世の像

エジプト考古学博物館5 アクエンアテンの像

エジプト考古学博物館6 おそらくキリスト教徒などに破壊された門

エジプト考古学博物館7 クフ王の像

エジプト考古学博物館8 メンカウラーと女神

エジプト考古学博物館9 ハトシェプスト像

エジプト考古学博物館10 死者の書

エジプト考古学博物館11 ツタンカーメンの木箱

エジプト考古学博物館12 ツタンカーメンのアヌビス

エジプト考古学博物館13 ツタンカーメンのアヌビスが乗せられていた箱 ミイラ作りの際に取り出す臓器などを入れるカノプス壺などが収められていた

エジプト考古学博物館14 死者の書の一部。これがメジェドかと思っていたらホルスの象徴だった

エジプト考古学博物館15 ちょっと雰囲気の違う死者の書

エジプト考古学博物館16 ミイラ作りのベッド

エジプト考古学博物館17 棺内部

エジプト考古学博物館18 ヤギのミイラ

エジプト考古学博物館19 神への捧げ物などを書くことで自分の正統を主張するらしいプレート

エジプト考古学博物館20 アメンホテプ3世と王妃の像

エジプト考古学博物館21 ツタンカーメンの呪いについて

クフ王の像は全然確認されてないことを前述しました。このミニチュア像が唯一確認されているというクフ王の像です。最大のピラミッドはあるのに自身を示す像が見つからないとは…王権も何代にも渡ってピラミッドを作れるほどの余裕があるのにミステリーですね。

王の帽子には3種類あることがわかると思います。ボウリングのピンみたいなもの、平べったいもの、それらの組みあわせ。これらは下エジプト(ナイル川下流)、上エジプト(ナイル川上流)、それぞれの象徴と、2つの地域の統一をあらわします。それぞれの場面によってかぶる帽子の意味がありますが、組み合わせの帽子は統一冠とも呼ばれ、それぞれの地域を統一している象徴だそうです。そう分かって見るとそれぞれ違いがあってまたおもしろくなります。

GEMが作られてるとはいえ、見るものが多すぎる…他に予定がなければ僕はここに1日いられます。

コプト地区散策

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エジプトはアラブ世界による征服の歴史から、現在もイスラム教を国教とする国ですが、古代エジプトのころからキリスト教徒も存在しました。アブラハムの宗教において重要な預言者、十戒で有名なモーセはエジプトに生まれ出エジプト記において葦の海を割ったとされていますね。古代エジプトは歴史の中心すぎてすごい。

コプト地区1

コプト地区2

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コプト地区3 アブ・セルガ教会1

コプト地区3 アブ・セルガ教会2

コプト地区3 アブ・セルガ教会3

コプト地区3 アブ・セルガ教会4

コプト地区3 アブ・セルガ教会5

コプト地区3 アブ・セルガ教会6

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ベン・エズラ・シナゴーグ

htps://ja.wikipedia.org/wiki/バビロン_(エジプト)

コプト地区10 バビロン城

エジプトで独自に発展したキリスト教をコプト教といい、コプト正教会もあります。

ベン・エズラ・シナゴーグというのは内部撮影ができなかったので内部の写真はないのですが、ここは流された赤ん坊のモーセが拾いあげられたという場所にあるユダヤ教の施設です。逸話のスケールがいちいちでかい。

ランチ

ハマム・マッハシ (鳩にごはんとかつめたもの)1

ハマム・マッハシ (鳩にごはんとかつめたもの)2

エジプトで食べてみたかったもののひとつ。鳩の丸焼きに色々詰めたもの。エジプトの人は現代でもわりとポピュラーな食べものらしく、ガイドのアシュラフさんによると食べる種類の野生の鳩を見るとおいしそうだと思うそうです。日本人が水族館行ったらおいしそうだなと思うようなものでしょうか。

可食部が少なくて食べにくい感じでしたが、食は文化そのもの。キッチリ頂きました。

アムル・イブン・アル=アース・モスク

アムル・イブン・アル=アース・モスク

アフリカ大陸最初のモスク。お祈りがあったタイミングだったので人がすごかったです。外観だけ見て退散。

エジプト国立文明博物館

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エジプト国立文明博物館1

エジプト国立文明博物館2 プロジェクションマッピングの歴史展示

エジプト国立文明博物館2 ミイラ展示の入口

エジプト国立文明博物館3 アクエンアテン像

エジプト国立文明博物館4 ホルス像

エジプト国立文明博物館5 スフィンクス

新しい博物館です。先に行ったエジプト考古学博物館にあったミイラを移してオープンされました。展示されているミイラは以下の通り。

〔現在展示中のミイラ〕 * 第17王朝 (1体) セケンエンラー・タア2世 * 第18王朝 (9体) イアフメス・ネフェルタリ王妃、アメンヘテプ1世、トトメス1世、トトメス2世、 ハトシェプスト女王、トトメス3世、アメンヘテプ1世、トトメス4世、ティイ王妃 * 第19王朝 (5体) セティ1世、ラムセス2世、メレンプタハ、セティ2世、サプタハ * 第20王朝 (5体) ラムセス3世、ラムセス4世、ラムセス5世、ラムセス6世、ラムセス9世

https://www.otoa.com/gallery/tiding/detail.php?code=38012 より

もちろん全員名立たるファラオなのですが、特に個人的にはハトシェプスト女王、セティ1世、ラムセス2世などは伝説of伝説の人物です。その人物の本物の遺体が目の前にあるというのはなんとも言えずすごいことでした。

エジプトで最も有名なファラオ、ラムセス2世(オジマンディアス) は身長が高いという伝承も目の前にあるミイラがその通りであったということを教えてくれます。赤髪であったという伝承通りに赤い髪の毛もついていました。それが展示のためについているものかどうかまでは判別できませんが、多くの写真にもついていますしきっと本物なのでしょう。FGOでも大人気キャラクターであるので、ここでラムセス2世と対面したいという日本人は結構いるのではないでしょうか。エジプトに行くと3000年以上の時を越え、ラムセス2世(のミイラ)に会えるのです!!!!

ちなみにFGOではニトクリスというファラオも大人気ですが、彼女は実在が疑われるレベルの史料しかないようです。残念。ちなみに彼女はわずかにある史料通りなら第6王朝最後の女王なので、クフ王の少し後で、ラムセス2世の1000年以上前のファラオです。しかしそんな大先輩ファラオである彼女はゲーム内ではラムセス2世に従うように行動するのですがなぜそうなっているかというのはFGO世界での設定が~(略)のためです。

なおミイラ展示は全部写真撮影禁止なので写真はありません…

ディナー

ディナー1 ラウンジ飯1

ディナー2 ラウンジ飯2

このあと咳止めを買いに街の薬局に行ってもらうとなぜか薬局のお兄ちゃんと写真をとったりしながら、ホテルへ帰り、休息と飯でした。やはりステラビール。毎日朝から歩きまわっているので何も考えずに食えるラウンジは旅行中本当に助かりますね。

大エジプト博物館 (GEM)

場所の紹介前にエジプトならではの街の景色を。

エジプトの乗合バス

エジプトの乗合バスを探す人たち

ハイエースみたいな車にどう見ても人数オーバーな人が乗っています。これはエジプトの乗合バスで、街中をたくさん走っています。そして2枚目の写真でピースしているひとたちがいますが、これはハンドサインで行きたい先を示しています。日本の公共バスのように決まった車が決まった時間で走っているものではなくまちまちなので、たまたま通ってくるバスが行き先を通るなら乗っていくという感じです。日本円にして数10円程度とのこと。

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大エジプト博物館 (GEM) 1 入口

この日は大エジプト博物館 (GEM)からスタートです。もともと2020年にオープン予定だったはずですが、これを書いている現在も今度こそフルオープン詐欺を繰り返しており、まだフルオープンしておらず、一部のオープンに留まっています。総工費の半分ぐらいが日本からの借金で成り立っているそうで、その影響か入口にも日本語があります。こういうことも事前に知っていたので、アレクサンドリア図書館に日本語の本がまるでなかったのがなおさらなんともいえない感じだったんですね。官民の温度差というやつでしょうか。

大エジプト博物館 (GEM) 2 入口前のオベリスク

入口前には巨大なオベリスクがありますが、これもラムセス2世のものです。いちいち数千年の重みがあるエジプト。これは地面に直接ではなく、屋根の上に固定されており、その下は透明の床となっており、オベリスクの底を眺めることができます。

大エジプト博物館 (GEM) 3 建物入口

タイムトンネル的なデザインらしい建物入口。

大エジプト博物館 (GEM) 2 ラムセス2世の立像

メンフィスにも似たような立像がありましたが、これもメンフィスにあって運ばれてきたらしい。

大エジプト博物館 (GEM) 4 階段の展示

大エジプト博物館 (GEM) 5 上エジプトの帽子

大エジプト博物館 (GEM) 6 下エジプトの帽子

アクエンアテンの像ということですが、この展示は向かいあって展示されていました。上下それぞれを象徴する帽子をかぶっています。よく見ると思うポーズは復活の神オシリスをあらわしています。

大エジプト博物館 (GEM) 7 色が残っている木棺

大エジプト博物館 (GEM) 8 黒花崗岩の棺

大エジプト博物館 (GEM) 9 黒花崗岩のプレート

大エジプト博物館 (GEM) 10 メンカウラーの三神像

大エジプト博物館 (GEM) 11 石棺内部の装飾

エジプト考古学博物館や文明博物館から様々なものが移されてきており、とても広く見応えのある博物館です。本オープンとなるときが楽しみです。日本のテレビでも昔はよく出ていた吉村先生らが作業されている太陽の船の復元も終了次第このGEMに展示されるそうです。この復元プロジェクトのためのクラウドファンディングをされていたので僕も協力しました。

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ムハンマド・アリー・モスク

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Cairo Citadel という中世の要塞にあるモスク。名前の通り、ムハンマド・アリーによって建てられたモスク。

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ムハンマド・アリー・モスク 1

ムハンマド・アリー・モスク 2

ムハンマド・アリー・モスク 3

ムハンマド・アリー・モスク 4

ムハンマド・アリー・モスク 5

ムハンマド・アリー・モスク 6

ムハンマド・アリー・モスク 7 エジプトではそのへんにバジルが生えている

スルタン・ハサン・モスクとリファーイー・モスク

ムハンマド・アリー・モスクから近いところに、道をはさんで並びたつ2つのモスクです。

スルタン・ハサン・モスクとリファーイー・モスク 1

スルタン・ハサン・モスクとリファーイー・モスク 2

スルタン・ハサン・モスクとリファーイー・モスク 3

スルタン・ハサン・モスクとリファーイー・モスク 4

スルタン・ハサン・モスクとリファーイー・モスク 5

スルタン・ハサン・モスクとリファーイー・モスク 6

スルタン・ハサン・モスクとリファーイー・モスク 7

スルタン・ハサン・モスクとリファーイー・モスク 8

スルタン・ハサン・モスクとリファーイー・モスク 9

スルタン・ハサン・モスクとリファーイー・モスク 10

スルタン・ハサン・モスクとリファーイー・モスク 11

あまり観光地してないモスクです。それでもここはエジプト。チップはいります。トルコなどでモスクにお邪魔した際にはチップを言われたことなどありませんでしたが…

両方のモスクではガイドさんの知人らしい、お祈りのよびかけをする役職であるという方にその呼びかけを拝聴しました。動画に撮りましがはてなblogでは直接動画をはりつけらない。最後の写真はそのうちのおひとかたですが、このひとは自分達の感覚でも立派な宗教感覚をおもちのように見えました。人当たりの柔かさや、ガイドさんから出されたチップを断ったり…初めてエジプトで出されたチップを断った人を見ました。同じモスクの靴の預り受付のひとにはチップ足りないよと言われる世界で…

ランチ

ランチ コシャリのローカルチェーン1

ランチ コシャリのローカルチェーン2

ランチ コシャリのローカルチェーン3

ランチ コシャリのローカルチェーン4

また出てきたエジプトのローカルフードコシャリ。ホテルのものよりこっちのほうが好きでした。ホテルなどではなく完全にローカルなショップです。スモールのコシャリで十分腹一杯でさらにライスプディングを当然のようにつけてきたガイドさんやばい。これで200円もしなかったと思います。ガチローカルのお店に行ければすごいコスパが得られるけど観光客っぽいのはまわりにひとりもいませんでした。エジプトではガチローカルになじむのは難しい。

ハンハリーリ市場と周辺

ハンハリーリ市場と周辺1 ズウェーラ門

ハンハリーリ市場と周辺2

ハンハリーリ市場と周辺3

ハンハリーリ市場と周辺4

ハンハリーリ市場と周辺5

ハンハリーリ市場と周辺6

市場ですが、ほとんどが観光客向きとなっています。裏通りにはいるとちょっとローカルな感じの店もありました。たぶんここで買う商品はデフォルトで10倍の値段がついてると思います。

ガイドさん、ドライバーさんとお別れ

ハンハリーリ市場からのホテル送りで、アレクサンドリア、カイロと6日間お世話になったガイドさん、ドライバーさんとお別れとなりました。

ガイドさん、ドライバーさんと記念撮影

とても親切なガイドさん、ドライバーさんでした。パッケージツアーでもないかぎり、エジプトではガイドさんは必須に近いです。ガイドのアシュラフさんは日本語も流暢です。全然カタコトではなく全く問題なく会話できるレベル。観光地などはいちいち結構離れているのに公共交通機関にとぼしく、いちいちタクシーなどの交渉も大変なので、ガイドさんは本当おすすめします。ここまでも書きましたが観光客トラブルは多いところなのでそれを防ぐ意味でも。もし希望する人がいたらアシュラフさんは紹介します。

エジプト在住の日本人の方と食事へ

エジプトは一大観光地ながら日本からリーチできる業者さんはこういってはなんですがとても高価なところが多いです。Facebookでそれっぽいグループを探していろいろお伺いしていたときに知りあったカイロ在住の須藤真希さんと食事の約束をしていました。アシュラフさんも須藤さんの紹介でした。この後行く下エジプトのガイドさんも須藤さんを通して紹介してもらいました。須藤さんには一切の紹介料などお渡ししてないにも関わらず、約束ごとにルーズなひとが多いというエジプトの方々との仲介をいただき、恐縮しきりであったので、日本でないと買いにくいものなどをお土産としてお渡ししました。

さすがに慣れているカイロ在住須藤さん

行ったレストランの席のとなりにいた子猫たち1

行ったレストランの席のとなりにいた子猫たち2

よく覚えてないがおいしかったスープ

よく覚えてないが焼き魚のなんとかだった気がする

須藤さんのおかげで先にも言った片側5車線ぐらいあるような常に車の流れる信号なしの道路を渡ることができました。横断の様子も動画にとったのですがはてなブログでは直接載せられないので面倒で…

須藤さんはとても明るいお姉さんという感じの方で、妹ともども楽しく過ごさせていただきました。連れていっていただいたレストランも自分ではまず発見できなかったと思います。エジプトと欧米食の融合のような、創作エジプト料理とでもいうようなジャンルでした。

須藤さんは就学率の低さや、幼児教育がまだまだ整っていないエジプトで保育園を開かれて普及する活動を行っていらっしゃいます。帰国後こちらの活動にもクラウドファンディングを通して支援させていただきました。

先ほどアシュラフさんを紹介しますと言いましたが須藤さんに会いたいという方ももちろんおつなぎまします。

前半終了

翌日からは飛行機に乗ってアスワンに向かいました。

本当はこの記事ひとつで全部書くつもりだったのですが、7万数千字を越え、このまま後半を書くと字数制限にかかりそうです。一時保存するのにも20秒ぐらいかかるようになってきました。下エジプト編は分割して別記事として出そうと思います。

RubyKaigi 2025 に参加してきた

RubyKaigi 2025

RubyKaigi 2025に参加してきました。会社の出張として全面的に会社のお世話になりました。ありがとうございました。 今思いだしましたが入社エントリとか書くって言った気がするのに書いてませんでしたね。株式会社スタディストの提供で参加しました。ブースは出せませんでしたが、しっかりスポンサーはさせていただきました。対プログラマ、対IT業界向けのサービスではないのでこういう場での知名度はまだまだありません。今後一層草の根からもみなさんに認知いただけるよう頑張ります。

これは弊社からの参加者のIDとともに撮影したスポンサー一覧の写真です。

ここしばらくはRubyの会社にいなかったもので、しばらくぶりのRubyKaigiとなりました。関西地方のRubyカンファレンスにも遊びにきてくれる友人たちを除くと久方ぶりに会う人も多く、楽しい年一の同窓会ともなりました。

食事時など休憩のときには参加している友達のみならず、初めて会う若者たちとも交流できました。こういうときネームバリューのある偉くなった友達がいると共通の知人が生まれやすいので偉くなった友達たちに感謝です。

トーク詳細には触れませんが、RubyKaigi「っぽい」なとなったのはAI関連のトークがなかったことですね。松本さんも触れていましたが…とはいえRubyはその方面を抜きに今後もやっていけるのかと言われるとそういうことはないので、今後は既存のエコシステムに乗りつつ、Rubyからどう使うのか、どう利用するかになっていくのでしょう。OpenAI向けのラッパーぐらいは僕も過去に作ったのですが、当然もっとちゃんとしたのがもうありました。

github.com

Day0から毎日開催されるDrinkupなどのため覚悟はしていましたが胃腸が大変でした。最終日には恒例となっていたRuby Music Mixinでウェイウェイすることもでき、一般的なプログラマのイメージを越えた多様性のあるKaigiを楽しめました。

Ruby Music Mixin

観光

初めて訪れる地、松山だったので、超重要観光地は回ってきました。

道後温泉

道後温泉

道後温泉 又新殿

道後温泉 坊ちゃんの間

道後 地ビール

漱石の見合い写真イケメンすぎんだろ…

松山城

松山城とよしあきくん

松山城 小天守

観光で思いだしましたが、意外と僕がエジプトなどに旅行したことは覚えられており、2月のエジプトの旅行記は書きたいなと改めて思っています。

来年は函館での開催も発表されました。今からご飯と酒が楽しみです。その次、またはさらにその次とか、神戸にも新しい箱ができたので誘致ワンチャンあるかな…と地域rb代表の方をケシかけています。神戸開催の際には僕のオススメの店で飲みましょう。

今年も松田さんをはじめスタッフ、ローカルオーガナイザーのみなさま、ありがとうございました。